恋愛感情
トゥインクル・シリーズでの3年間が終了し、ひとまず休みが与えられた。休みを与えられたとてタキオンにはさして熱中できる趣味もなかったので、以前と変わらぬ研究漬けの日々が続いた。
遂に『プランA』――自らの脚でウマ娘の限界を見る――の目標を完遂したタキオンは、プランAの成功要因の一つである『感情』についてより詳しく検証すべく、新たな研究の計画を立てていた。
「ただいま」
扉を開いて声をかける。部屋ではデジタルが机でイラストに向かっていた。タキオンの顔を見て、笑顔で返す。
「おかえりなさ〜い!」
タキオンは学園から専用の研究室を与えられているため、寮の自室に戻ってくることは寝る時以外滅多にない。なので、休みの日はタキオンは研究室に篭り、デジタルは自室に篭って1日を過ごす。
デジタルが制作途中のイラストや画材を片付けながら時計を見遣る。
「あれ?今日は少し早かったんですね」
「ああ。デジタル君に話があってね」
タキオンがデジタルの前に立って、デジタルの目を見詰める。
二人が真っ直ぐ向かい合うと目線の高さに差が出るため、デジタルが少し見上げる形になる。
「デジタル君、単刀直入に言おう。私と恋人としてのお付き合いをしてくれないか?」
「へっ?」
タキオンの瞳に冗談の色はない。
デジタルがきょろきょろと周りを見回す。
「え?今のあたしに言いました?」
「ああ、もう一度言おうか。」
タキオンが一息置く。
「アグネスデジタル、私と付き合ってくれ」
「え…………っ…」
デジタルが息を呑む。
次の瞬間、大絶叫が栗東寮じゅうに響き渡った。
「えっえっえっなんで?なんでデジたんが?タキオンさんがお付き合いされるならトレーナーさんとかカフェさんとかもっと良い人がいますし……アッそうだこれってドッキリですよね?扉の向こうでゴルシさんとかが待ち構えててテッテレーってネタばらしするんですよね?」
はっと気付くと、タキオンが腕を組んでいらいらした様子を見せていた。それを見てデジタルはマシンガンのように動かしていた口を止める。
タキオンはやれやれ、といった様子でデジタルの方に向き直す。
「ドッキリではない。そして私はモルモット君やカフェとは付き合わない。デジタル君と付き合いたいんだ」
「は、はわわわわ………」
タキオンの髪飾りが揺れる。彼女の鋭く紅い目に射竦められ、デジタルは視線を逸らす。
「だめかな?」
タキオンは一歩近付いてデジタルの顎を掴み、視線を合わせさせる。
タキオンは顔がいい。
冷たい瞳は言うまでもなく、スッとした顔立ち、伸びきった前髪、適度に水分を含んだ唇、そこから発される声、全てに文句がない。
接近してくるタキオンの顔面に、もうデジタルは耐えられなかった。
「ごはっ??!!?!おっ……!!おおおおお願いします!!!!!」
「ふふ。良かった。こちらこそよろしく頼むよ」
タキオンは顎から手を放して柔らかく笑う。
かくして、デジタルはタキオンに降伏する形で告白を受け入れたのだ。
それから、タキオンは熱心にデジタルを誘って、一緒に出かけたり部屋で過ごした。お金と門限が許すところなら、どこでも行った。
デジタルと過ごすタキオンは本当に楽しそうで、どこに行っても新鮮な反応を示し、喜びをデジタルと共有した。
デジタルは初めこそ何故自分が選ばれたのか分からず、タキオンに対して遠慮がちな態度を示していたが、それでも彼女なりに自分を慕ってくれるタキオンの姿を見て、徐々に心を許していった。
ある日、タキオンはデジタルが出走する予定のレースの会場に赴いていた。控室のドアを叩く。
「デジタルくーん」
すると、程なくしてデジタルが迎える。タキオンを見たデジタルの表情がぱぁっと明るくなる。
「タキオンさん!来てくださったんですねっ!!」
「ああ、もちろんさ。君が出走するレースなんだ、来ないわけがないだろう?」
タキオンはデジタルと話しながら控室に入り、デジタルに近づいて行く。
「ほわぁ〜〜〜………!!!」
デジタルは嬉しさで思わず顔を覆う。
「レース前にタキオンさんにこうやって来ていただけるなんて……デジたん夢女コースまっしぐらですぅ〜……」
わなわなと震えているデジタルの腕をがっしと掴んで、目線を合わせる。あの日のような真っ直ぐな目でタキオンが言う。
「デジタル君。今日のレースは、必ず勝つんだぞ」
タキオンのいつになく真剣な表情にデジタルは思わず背が伸びる。
「はひっ!!必ず勝ちますっ!!」
タキオンの言葉をしっかりと復唱するデジタル。その様子を見たタキオンは満足そうな顔をして、パドックに向かうデジタルを送り出した。
その日のデジタルの脚は鋭かった。
ラスト1ハロンから、驚異的な末脚でライバル達をねじ伏せてみせたのだ。他の追随を許さない、まさに圧巻のレースであった。
レースが終わり、勝利の興奮を湛えたままデジタルが地下バ道を歩いていると、タキオンが駆け寄ってきた。
「デジタル君!」
「タキオンさん!」
タキオンに気付いたデジタルは、勝利のそれとはまた違う喜びに浸されながら駆け寄っていった。
駆け寄ってきたデジタルをタキオンが抱きとめる。
てっきりハイタッチをするものだと思っていたデジタルは感情の乱高下に見舞われた。
「あひゃああぁぁ!!!??」
「あははっ、デジタル君やったな!!すごいじゃないか!!!」
タキオンの弾んだ声が今までにないくらい近くで聞こえてくる。
「ああああタタタキオンさん近いですぅ……!!あたし汗くさいですよ……!!!」
「そんなことないさっ、あはは!素晴らしいぞ!!」
一頻り喜んだ後、タキオンはデジタルの体を放す。
その時の彼女の表情は満足気で、どこか恍惚としたものだった。デジタルにはその表情が非常に印象深く感じられた。
それからもデジタルの快進撃は続いた。彼女は芝・ダート問わず彼女は戦い続け、そのたびに勝利をもぎ取ってみせた。
タキオンはデジタルが出走するレースには必ず顔を出し、必ず控室に赴いて彼女を鼓舞し、そして地下バ道で彼女を抱擁した。
タキオンの体重が体に乗ってくる。
「デジタル君すごいぞ、これでもう三連勝じゃないか!!」
「えへへへっ!!!あたし、やりましたぁ〜〜!!」
デジタルはタキオンの体重を感じながら、しっかりと腕を背中に回す。えも言われぬ幸福感が全身を満たしていく。
「想定以上の結果だ……!」
「えへへぇ〜〜」
タキオンの吐息混じりの囁きが耳元に響いて心地よい。タキオンはデジタルの髪を撫でる。
「タキオンさんのおかげですっ!本当にありがとうございますっ!!」
「いや、これはデジタル君の実力だよ」
「でもタキオンさんがいなかったら、きっとここまでこられませんでしたよっ!!」
「フフ……」
タキオンの笑い声につられて、デジタルの顔にも笑顔の花が咲く。タキオンは更に強くデジタルを抱き締めた。
★
「デジタル君、単刀直入に言おう。私と別れてくれ」
そう言うタキオンの顔の後ろからは西陽が鋭く差し込んでおり、顔が陰になって細かな表情を窺うことができなかった。
二人がいつものようにデートに出かけて、寮の部屋に一緒に帰ってきたときの出来事だった。
「……えっ」
デジタルは咄嗟のことについていけず、言葉を失っていた。
「おや、聞こえなかったかな。デジタル君、私と別れてくれ」
頭が真っ白になった。
別れる?なぜ?ついさっきまであんなに楽しく過ごしていたのに。
「…………あたし、何かご迷惑になるようなことしましたか」
声が震える。
「いいや。むしろ逆だ、いい働きをしてくれたんだ」
「……?」
訳が分からず首を傾げる。
「デジタル君。今私は、ウマ娘の『感情』に興味があるんだ。」
静かに語り始めるタキオン。その目はぎらついていた。
「私がトゥインクル・シリーズを駆け抜けさせてくれた、他者、そして己の感情。それに気付いたとき、今すぐにでも研究を始めたかったのだが、生憎私がそれに気付いたときはもう遅くてねぇ。間もなくトゥインクル・シリーズが終わってしまったんだ」
タキオンが部屋の中を手持ち無沙汰そうに歩き始める。
「しかし感情の研究はしたい。そこで被検体となってくれたのが君、デジタル君だったのさ」
タキオンがこちらを振り向く。
あの時の、恍惚とした表情だった。
「結果は予想以上だったよ。初めーーまだ私に遠慮していた時期は、実験前と変わらない身体能力だった。ところがどうだい、徐々に恋人である私と打ち解けていくにつれて加速度的な身体能力の上がりようじゃないか」
タキオンは自分が今まで見た中で最も悦びに満ちた笑みを浮かべている。
デジタルは自分の立っているこの地面がどんどん歪んでいくかのような錯覚に陥っていた。真っ直ぐ立てているような気がしない。
そんなデジタルには目もくれず、タキオンは興奮して続ける。
「いやぁ、素晴らしい!他者を想う気持ち、特に恋愛感情というのは下手なトレーニングよりもよっぽど効果があったようだな」
半ば独り言のようにタキオンは語り続ける。
もはやデジタルは自分の着ている服を必死に掴んでいないと、立つ姿勢すら保てなかった。
よそを向いていたタキオンは、デジタルの方を向いて問いかける。
「騙したふうになってすまなかった。でも最初から研究の一環だと言ってしまうとこの実験は破綻してしまうだろう?」
「は………え………」
デジタルは立つのがやっとの状態で、返事はろくに出来なかった。
「おや、やけに大人しいな。君ならもっと取り乱すと思っていたのだが。では、そういうことでよろしく頼むよ。じゃあ」
そう言ってタキオンは自分の机の上のノートを抱え、部屋を出ていってしまった。「よろしく頼む」って、一体なにを頼まれたんだ、とデジタルは立ち尽くすだけだった。
★
デジタルが部屋に帰ってこなくなってから一週間が経った。
「ただいまー」
今日もいつものように挨拶をしてみるものの、デジタルの姿はない。
いつもはデジタルが畳んでくれる洗濯物が、部屋の隅に粗雑に積み重なっている。
周りに聞くところによると、どうやら彼女はオペラオーやドトウの部屋を転々として夜を過ごしているようだ。
タキオンが学園の中でデジタルとすれ違うときも、あからさまにデジタルはタキオンから目を逸らす。タキオンが声を掛けようとしても、デジタルは驚異的なスピードで逃げ去ってしまう。
「さて、どうしたものかなー」
タキオンは自分のベッドに腰掛ける。ベッドがぎい、と鳴った。
デジタルは、自分のことが嫌いになってしまったのだろうか。
思えば狡猾なやり方だった。嘘の告白をして交際を始めて、自分に抱いてくれた恋愛感情を利用して実験を開始した。
実験の結果をより効果的に出すために、タキオンはデジタルに実験だということを極力悟られないように、彼女にぞっこんであるように振る舞った。
デジタルはそれにまんまと騙され、自分を信じ、タキオンに全幅の信頼を寄せていた。それはトレーナーに対する信頼とも違う、自分が最も愛している者への想い。自分はそんなデジタルの心を弄んだのだ。
デジタルのことを考えると胸が痛む。
「……なぜだ?」
今まで覚えたことのない苦しみに苛まれる。研究が上手くいかない時のもどかしさとも、レースで味わう緊張感とも違う。自分の心臓を直接揺さぶられているかのような感覚。
デジタルと過ごした日々が思い出される。
二人で色々なところに行った。学園の食堂、カフェ、映画館、公園、水族館。その一つ一つにデジタルとの思い出が刻み込まれている。デートらしいことは全てしたと言ってもいい。
その時は実験のため仕方がなくやっている、と割り切っているフリをしていたが、本当は一つ一つがかけがえのない思い出だったのだ。
「……デジタル君」
タキオンにはこの気持ちの正体がわからなかった。今すぐ扉が開いて以前のように元気な挨拶を聞けたらいいのに。
一方でデジタルにはまだ会いたくないという気持ちもあった。
「……………」
タキオンは部屋の隅に転がっている自分の洗濯物を見るともなしに視界に入れたまま、ぼんやりしていた。
それから何日かして、タキオンは事あるごとにデジタルの姿を学園内で探すようになった。だが、デジタルは普段からウマ娘の観察に勤しんでいるだけあって、こちらが近づく前に逃げられているようだった。
そっちがその気なら。
タキオンはトレーニングの時間帯を狙い、遂にコースを走っている際中のデジタルを捕まえた。
「ひぃ〜〜!!!トレーニング中なんてずるいですよ!!た、たすけてトレーナーさぁん!!」
デジタルがタキオンの腕の中でジタバタと暴れる。
「君のトレーナーなら来ないよ。私と学園の外を走るというふうに伝えたからね」
「うぐっ…!!」
デジタルはタキオンから離れようとするが、腕がしっかりと掴まれていて抜け出せない。
タキオンはそのままデジタルをコースの外、他の生徒からは気付かれにくい校舎の裏まで引き摺りだした。
「あばばば………別れを告げてきた人に追いかけられた挙句迫られるなんてシチュ、デジたんの脳内ストレージには存在しませんよ……」
デジタルは相変わらず訳のわからないことを言いながら頭を抱えている。
「デジタル君」
今まで何度もデジタルを震わせてきた声。
思わずデジタルは身構える。
「すまなかった」
聞こえてきたのは謝罪の言葉だった。
「へっ…?」
こんなに素直に謝るタキオンは珍しい。デジタルは思わず顔を上げる。
こちらをからかったり、利用してやろうという様子は見えない。
デジタルが呆気に取られていると、タキオンは静かに語り始めた。
「君の気持ちを実験に利用して、挙げ句の果てに深く傷つけてしまった。私の実験が皆から疎まれるのは慣れっこだった。だが…今回は初めて他人を傷つけてしまった。デジタル君、本当にすまなかった」
タキオンが深く頭を下げる。耳も垂れてしまっている。どうやら本当に反省しているらしい。
「たたたタキオンさん!頭を上げてください!た、確かに急に告白されたり急に別れられたり感情が全然着いてきませんでしたが、タキオンさんと付き合うのも楽しかったといいますか、あたしも実験道具としての自覚があるから大丈夫といいますか………」
デジタルが慌てて弁解を始める。
タキオンはデジタルの言葉に耳を傾けていたが、どこか腑に落ちないような表情を浮かべ始めた。
「なるほどね。君の気持ちは分かったが、ひとつだけ分からないことがある。」
「な、なんでしょう?」
タキオンの瞳がデジタルを捉える。
「君、何故私を一週間も避け続けたんだい?私の洗濯物もろくに畳まずに」
「ぐぅ〜〜〜……それ聞きますかぁ……」
デジタルがきまり悪そうにソワソワしている。
「なんだい?何かあるならさっさと話したまえ」
タキオンがずい、と顔を覗き込む。
「うぅ〜〜〜……実は………」
デジタルが目を逸らしながらもにょもにょと口ごもる。
「実はあたし、タキオンさんのことが忘れられなくて…タキオンさんの顔を見ると色んなこと思い出しちゃうから……」
デジタルの声がどんどん小さくなり、顔がどんどん紅くなる。
「最初は実験が終わったから関係も終わり、ってタキオンさんみたいに割り切りたかったんですけど……あたし、タキオンさんと過ごした時間が本当に尊くて………」
デジタルが耳を寝かせながら、自らのジャージの裾を掴む。
「あたしもうタキオンさんと今までみたいに接する自信がなくて……だから、逃げてしまいました……ごめんなさい…………」
ついにデジタルは俯いてしまった。
「…………なぁ、デジタル君」
「ひゃ、ひゃい!」
デジタルが慌てて顔を上げると、タキオンは不敵な笑みを浮かべていた。
「どうやら実験を再開しなければならないようだぞ」
「………へ?」
タキオンがデジタルの肩を力強く掴む。眼前にデジタルのきょとんとした表情が広がる。
「今君は、自分の持っている感情について詳しく話してくれただろう。どうやら、私が今持ってる感情と酷似しているようなのだよ」
「……えっ?えっ?」
「ハハハ!まさか私が誰かに特別な感情を抱くなんてねぇ。君はさっき私と過ごした時間を『尊い』と表現してくれたな。普段君はよく口にしているようだが……なんとなく私にもその感情が理解できたようだよ」
「た、た、タキオンさんの『尊い』とあたしの『尊い』は意味が違うような気が……」
タキオンがデジタルの腕を握る。
「アッ!?」
「ハハハ!この際細かいことはいいじゃないか!両者の感情が一致してるなら話は早い!」
そのままタキオンはデジタルの腕を押して壁へと追いやった。
「早速実験と行こうじゃないか!さぁデジタル君、もっと君の今の心情を聞かせたまえ!」
タキオンが目を輝かせながらデジタルの顔を覗き込む。
「そうだ、心拍数も測ろうか!フフ、二人で一緒にこの感情について調べていこう!」
タキオンはそう言いながら、デジタルの腕を壁に押し付けていた手を離すと、そのままするりと手を握ってきた。タキオンの指の柔らかい感覚が伝わる。彼女の顔が限りなく近づいてくる。
「ふひゃああああ……!!!!」
「おや、異常な発汗と顔面の紅潮。体温も測らねば…」
タキオンはそう言うと自らの額をデジタルの額に当てた。
「あ〜〜〜……あばばば………」
すると、デジタルは声を上げながらその場で失神してしまった。
「おやおや、まだ倒れないで欲しいのだが」
意識を失ったデジタルを抱えながらタキオンは一人呟いた。
タキオンはデジタルの髪を撫でる。
「でも焦らなくてもいいか、これからはまた一緒だものな」
タキオンの腕の中で気を失うデジタルは、幸せそうな表情を浮かべていた。
遂に『プランA』――自らの脚でウマ娘の限界を見る――の目標を完遂したタキオンは、プランAの成功要因の一つである『感情』についてより詳しく検証すべく、新たな研究の計画を立てていた。
「ただいま」
扉を開いて声をかける。部屋ではデジタルが机でイラストに向かっていた。タキオンの顔を見て、笑顔で返す。
「おかえりなさ〜い!」
タキオンは学園から専用の研究室を与えられているため、寮の自室に戻ってくることは寝る時以外滅多にない。なので、休みの日はタキオンは研究室に篭り、デジタルは自室に篭って1日を過ごす。
デジタルが制作途中のイラストや画材を片付けながら時計を見遣る。
「あれ?今日は少し早かったんですね」
「ああ。デジタル君に話があってね」
タキオンがデジタルの前に立って、デジタルの目を見詰める。
二人が真っ直ぐ向かい合うと目線の高さに差が出るため、デジタルが少し見上げる形になる。
「デジタル君、単刀直入に言おう。私と恋人としてのお付き合いをしてくれないか?」
「へっ?」
タキオンの瞳に冗談の色はない。
デジタルがきょろきょろと周りを見回す。
「え?今のあたしに言いました?」
「ああ、もう一度言おうか。」
タキオンが一息置く。
「アグネスデジタル、私と付き合ってくれ」
「え…………っ…」
デジタルが息を呑む。
次の瞬間、大絶叫が栗東寮じゅうに響き渡った。
「えっえっえっなんで?なんでデジたんが?タキオンさんがお付き合いされるならトレーナーさんとかカフェさんとかもっと良い人がいますし……アッそうだこれってドッキリですよね?扉の向こうでゴルシさんとかが待ち構えててテッテレーってネタばらしするんですよね?」
はっと気付くと、タキオンが腕を組んでいらいらした様子を見せていた。それを見てデジタルはマシンガンのように動かしていた口を止める。
タキオンはやれやれ、といった様子でデジタルの方に向き直す。
「ドッキリではない。そして私はモルモット君やカフェとは付き合わない。デジタル君と付き合いたいんだ」
「は、はわわわわ………」
タキオンの髪飾りが揺れる。彼女の鋭く紅い目に射竦められ、デジタルは視線を逸らす。
「だめかな?」
タキオンは一歩近付いてデジタルの顎を掴み、視線を合わせさせる。
タキオンは顔がいい。
冷たい瞳は言うまでもなく、スッとした顔立ち、伸びきった前髪、適度に水分を含んだ唇、そこから発される声、全てに文句がない。
接近してくるタキオンの顔面に、もうデジタルは耐えられなかった。
「ごはっ??!!?!おっ……!!おおおおお願いします!!!!!」
「ふふ。良かった。こちらこそよろしく頼むよ」
タキオンは顎から手を放して柔らかく笑う。
かくして、デジタルはタキオンに降伏する形で告白を受け入れたのだ。
それから、タキオンは熱心にデジタルを誘って、一緒に出かけたり部屋で過ごした。お金と門限が許すところなら、どこでも行った。
デジタルと過ごすタキオンは本当に楽しそうで、どこに行っても新鮮な反応を示し、喜びをデジタルと共有した。
デジタルは初めこそ何故自分が選ばれたのか分からず、タキオンに対して遠慮がちな態度を示していたが、それでも彼女なりに自分を慕ってくれるタキオンの姿を見て、徐々に心を許していった。
ある日、タキオンはデジタルが出走する予定のレースの会場に赴いていた。控室のドアを叩く。
「デジタルくーん」
すると、程なくしてデジタルが迎える。タキオンを見たデジタルの表情がぱぁっと明るくなる。
「タキオンさん!来てくださったんですねっ!!」
「ああ、もちろんさ。君が出走するレースなんだ、来ないわけがないだろう?」
タキオンはデジタルと話しながら控室に入り、デジタルに近づいて行く。
「ほわぁ〜〜〜………!!!」
デジタルは嬉しさで思わず顔を覆う。
「レース前にタキオンさんにこうやって来ていただけるなんて……デジたん夢女コースまっしぐらですぅ〜……」
わなわなと震えているデジタルの腕をがっしと掴んで、目線を合わせる。あの日のような真っ直ぐな目でタキオンが言う。
「デジタル君。今日のレースは、必ず勝つんだぞ」
タキオンのいつになく真剣な表情にデジタルは思わず背が伸びる。
「はひっ!!必ず勝ちますっ!!」
タキオンの言葉をしっかりと復唱するデジタル。その様子を見たタキオンは満足そうな顔をして、パドックに向かうデジタルを送り出した。
その日のデジタルの脚は鋭かった。
ラスト1ハロンから、驚異的な末脚でライバル達をねじ伏せてみせたのだ。他の追随を許さない、まさに圧巻のレースであった。
レースが終わり、勝利の興奮を湛えたままデジタルが地下バ道を歩いていると、タキオンが駆け寄ってきた。
「デジタル君!」
「タキオンさん!」
タキオンに気付いたデジタルは、勝利のそれとはまた違う喜びに浸されながら駆け寄っていった。
駆け寄ってきたデジタルをタキオンが抱きとめる。
てっきりハイタッチをするものだと思っていたデジタルは感情の乱高下に見舞われた。
「あひゃああぁぁ!!!??」
「あははっ、デジタル君やったな!!すごいじゃないか!!!」
タキオンの弾んだ声が今までにないくらい近くで聞こえてくる。
「ああああタタタキオンさん近いですぅ……!!あたし汗くさいですよ……!!!」
「そんなことないさっ、あはは!素晴らしいぞ!!」
一頻り喜んだ後、タキオンはデジタルの体を放す。
その時の彼女の表情は満足気で、どこか恍惚としたものだった。デジタルにはその表情が非常に印象深く感じられた。
それからもデジタルの快進撃は続いた。彼女は芝・ダート問わず彼女は戦い続け、そのたびに勝利をもぎ取ってみせた。
タキオンはデジタルが出走するレースには必ず顔を出し、必ず控室に赴いて彼女を鼓舞し、そして地下バ道で彼女を抱擁した。
タキオンの体重が体に乗ってくる。
「デジタル君すごいぞ、これでもう三連勝じゃないか!!」
「えへへへっ!!!あたし、やりましたぁ〜〜!!」
デジタルはタキオンの体重を感じながら、しっかりと腕を背中に回す。えも言われぬ幸福感が全身を満たしていく。
「想定以上の結果だ……!」
「えへへぇ〜〜」
タキオンの吐息混じりの囁きが耳元に響いて心地よい。タキオンはデジタルの髪を撫でる。
「タキオンさんのおかげですっ!本当にありがとうございますっ!!」
「いや、これはデジタル君の実力だよ」
「でもタキオンさんがいなかったら、きっとここまでこられませんでしたよっ!!」
「フフ……」
タキオンの笑い声につられて、デジタルの顔にも笑顔の花が咲く。タキオンは更に強くデジタルを抱き締めた。
★
「デジタル君、単刀直入に言おう。私と別れてくれ」
そう言うタキオンの顔の後ろからは西陽が鋭く差し込んでおり、顔が陰になって細かな表情を窺うことができなかった。
二人がいつものようにデートに出かけて、寮の部屋に一緒に帰ってきたときの出来事だった。
「……えっ」
デジタルは咄嗟のことについていけず、言葉を失っていた。
「おや、聞こえなかったかな。デジタル君、私と別れてくれ」
頭が真っ白になった。
別れる?なぜ?ついさっきまであんなに楽しく過ごしていたのに。
「…………あたし、何かご迷惑になるようなことしましたか」
声が震える。
「いいや。むしろ逆だ、いい働きをしてくれたんだ」
「……?」
訳が分からず首を傾げる。
「デジタル君。今私は、ウマ娘の『感情』に興味があるんだ。」
静かに語り始めるタキオン。その目はぎらついていた。
「私がトゥインクル・シリーズを駆け抜けさせてくれた、他者、そして己の感情。それに気付いたとき、今すぐにでも研究を始めたかったのだが、生憎私がそれに気付いたときはもう遅くてねぇ。間もなくトゥインクル・シリーズが終わってしまったんだ」
タキオンが部屋の中を手持ち無沙汰そうに歩き始める。
「しかし感情の研究はしたい。そこで被検体となってくれたのが君、デジタル君だったのさ」
タキオンがこちらを振り向く。
あの時の、恍惚とした表情だった。
「結果は予想以上だったよ。初めーーまだ私に遠慮していた時期は、実験前と変わらない身体能力だった。ところがどうだい、徐々に恋人である私と打ち解けていくにつれて加速度的な身体能力の上がりようじゃないか」
タキオンは自分が今まで見た中で最も悦びに満ちた笑みを浮かべている。
デジタルは自分の立っているこの地面がどんどん歪んでいくかのような錯覚に陥っていた。真っ直ぐ立てているような気がしない。
そんなデジタルには目もくれず、タキオンは興奮して続ける。
「いやぁ、素晴らしい!他者を想う気持ち、特に恋愛感情というのは下手なトレーニングよりもよっぽど効果があったようだな」
半ば独り言のようにタキオンは語り続ける。
もはやデジタルは自分の着ている服を必死に掴んでいないと、立つ姿勢すら保てなかった。
よそを向いていたタキオンは、デジタルの方を向いて問いかける。
「騙したふうになってすまなかった。でも最初から研究の一環だと言ってしまうとこの実験は破綻してしまうだろう?」
「は………え………」
デジタルは立つのがやっとの状態で、返事はろくに出来なかった。
「おや、やけに大人しいな。君ならもっと取り乱すと思っていたのだが。では、そういうことでよろしく頼むよ。じゃあ」
そう言ってタキオンは自分の机の上のノートを抱え、部屋を出ていってしまった。「よろしく頼む」って、一体なにを頼まれたんだ、とデジタルは立ち尽くすだけだった。
★
デジタルが部屋に帰ってこなくなってから一週間が経った。
「ただいまー」
今日もいつものように挨拶をしてみるものの、デジタルの姿はない。
いつもはデジタルが畳んでくれる洗濯物が、部屋の隅に粗雑に積み重なっている。
周りに聞くところによると、どうやら彼女はオペラオーやドトウの部屋を転々として夜を過ごしているようだ。
タキオンが学園の中でデジタルとすれ違うときも、あからさまにデジタルはタキオンから目を逸らす。タキオンが声を掛けようとしても、デジタルは驚異的なスピードで逃げ去ってしまう。
「さて、どうしたものかなー」
タキオンは自分のベッドに腰掛ける。ベッドがぎい、と鳴った。
デジタルは、自分のことが嫌いになってしまったのだろうか。
思えば狡猾なやり方だった。嘘の告白をして交際を始めて、自分に抱いてくれた恋愛感情を利用して実験を開始した。
実験の結果をより効果的に出すために、タキオンはデジタルに実験だということを極力悟られないように、彼女にぞっこんであるように振る舞った。
デジタルはそれにまんまと騙され、自分を信じ、タキオンに全幅の信頼を寄せていた。それはトレーナーに対する信頼とも違う、自分が最も愛している者への想い。自分はそんなデジタルの心を弄んだのだ。
デジタルのことを考えると胸が痛む。
「……なぜだ?」
今まで覚えたことのない苦しみに苛まれる。研究が上手くいかない時のもどかしさとも、レースで味わう緊張感とも違う。自分の心臓を直接揺さぶられているかのような感覚。
デジタルと過ごした日々が思い出される。
二人で色々なところに行った。学園の食堂、カフェ、映画館、公園、水族館。その一つ一つにデジタルとの思い出が刻み込まれている。デートらしいことは全てしたと言ってもいい。
その時は実験のため仕方がなくやっている、と割り切っているフリをしていたが、本当は一つ一つがかけがえのない思い出だったのだ。
「……デジタル君」
タキオンにはこの気持ちの正体がわからなかった。今すぐ扉が開いて以前のように元気な挨拶を聞けたらいいのに。
一方でデジタルにはまだ会いたくないという気持ちもあった。
「……………」
タキオンは部屋の隅に転がっている自分の洗濯物を見るともなしに視界に入れたまま、ぼんやりしていた。
それから何日かして、タキオンは事あるごとにデジタルの姿を学園内で探すようになった。だが、デジタルは普段からウマ娘の観察に勤しんでいるだけあって、こちらが近づく前に逃げられているようだった。
そっちがその気なら。
タキオンはトレーニングの時間帯を狙い、遂にコースを走っている際中のデジタルを捕まえた。
「ひぃ〜〜!!!トレーニング中なんてずるいですよ!!た、たすけてトレーナーさぁん!!」
デジタルがタキオンの腕の中でジタバタと暴れる。
「君のトレーナーなら来ないよ。私と学園の外を走るというふうに伝えたからね」
「うぐっ…!!」
デジタルはタキオンから離れようとするが、腕がしっかりと掴まれていて抜け出せない。
タキオンはそのままデジタルをコースの外、他の生徒からは気付かれにくい校舎の裏まで引き摺りだした。
「あばばば………別れを告げてきた人に追いかけられた挙句迫られるなんてシチュ、デジたんの脳内ストレージには存在しませんよ……」
デジタルは相変わらず訳のわからないことを言いながら頭を抱えている。
「デジタル君」
今まで何度もデジタルを震わせてきた声。
思わずデジタルは身構える。
「すまなかった」
聞こえてきたのは謝罪の言葉だった。
「へっ…?」
こんなに素直に謝るタキオンは珍しい。デジタルは思わず顔を上げる。
こちらをからかったり、利用してやろうという様子は見えない。
デジタルが呆気に取られていると、タキオンは静かに語り始めた。
「君の気持ちを実験に利用して、挙げ句の果てに深く傷つけてしまった。私の実験が皆から疎まれるのは慣れっこだった。だが…今回は初めて他人を傷つけてしまった。デジタル君、本当にすまなかった」
タキオンが深く頭を下げる。耳も垂れてしまっている。どうやら本当に反省しているらしい。
「たたたタキオンさん!頭を上げてください!た、確かに急に告白されたり急に別れられたり感情が全然着いてきませんでしたが、タキオンさんと付き合うのも楽しかったといいますか、あたしも実験道具としての自覚があるから大丈夫といいますか………」
デジタルが慌てて弁解を始める。
タキオンはデジタルの言葉に耳を傾けていたが、どこか腑に落ちないような表情を浮かべ始めた。
「なるほどね。君の気持ちは分かったが、ひとつだけ分からないことがある。」
「な、なんでしょう?」
タキオンの瞳がデジタルを捉える。
「君、何故私を一週間も避け続けたんだい?私の洗濯物もろくに畳まずに」
「ぐぅ〜〜〜……それ聞きますかぁ……」
デジタルがきまり悪そうにソワソワしている。
「なんだい?何かあるならさっさと話したまえ」
タキオンがずい、と顔を覗き込む。
「うぅ〜〜〜……実は………」
デジタルが目を逸らしながらもにょもにょと口ごもる。
「実はあたし、タキオンさんのことが忘れられなくて…タキオンさんの顔を見ると色んなこと思い出しちゃうから……」
デジタルの声がどんどん小さくなり、顔がどんどん紅くなる。
「最初は実験が終わったから関係も終わり、ってタキオンさんみたいに割り切りたかったんですけど……あたし、タキオンさんと過ごした時間が本当に尊くて………」
デジタルが耳を寝かせながら、自らのジャージの裾を掴む。
「あたしもうタキオンさんと今までみたいに接する自信がなくて……だから、逃げてしまいました……ごめんなさい…………」
ついにデジタルは俯いてしまった。
「…………なぁ、デジタル君」
「ひゃ、ひゃい!」
デジタルが慌てて顔を上げると、タキオンは不敵な笑みを浮かべていた。
「どうやら実験を再開しなければならないようだぞ」
「………へ?」
タキオンがデジタルの肩を力強く掴む。眼前にデジタルのきょとんとした表情が広がる。
「今君は、自分の持っている感情について詳しく話してくれただろう。どうやら、私が今持ってる感情と酷似しているようなのだよ」
「……えっ?えっ?」
「ハハハ!まさか私が誰かに特別な感情を抱くなんてねぇ。君はさっき私と過ごした時間を『尊い』と表現してくれたな。普段君はよく口にしているようだが……なんとなく私にもその感情が理解できたようだよ」
「た、た、タキオンさんの『尊い』とあたしの『尊い』は意味が違うような気が……」
タキオンがデジタルの腕を握る。
「アッ!?」
「ハハハ!この際細かいことはいいじゃないか!両者の感情が一致してるなら話は早い!」
そのままタキオンはデジタルの腕を押して壁へと追いやった。
「早速実験と行こうじゃないか!さぁデジタル君、もっと君の今の心情を聞かせたまえ!」
タキオンが目を輝かせながらデジタルの顔を覗き込む。
「そうだ、心拍数も測ろうか!フフ、二人で一緒にこの感情について調べていこう!」
タキオンはそう言いながら、デジタルの腕を壁に押し付けていた手を離すと、そのままするりと手を握ってきた。タキオンの指の柔らかい感覚が伝わる。彼女の顔が限りなく近づいてくる。
「ふひゃああああ……!!!!」
「おや、異常な発汗と顔面の紅潮。体温も測らねば…」
タキオンはそう言うと自らの額をデジタルの額に当てた。
「あ〜〜〜……あばばば………」
すると、デジタルは声を上げながらその場で失神してしまった。
「おやおや、まだ倒れないで欲しいのだが」
意識を失ったデジタルを抱えながらタキオンは一人呟いた。
タキオンはデジタルの髪を撫でる。
「でも焦らなくてもいいか、これからはまた一緒だものな」
タキオンの腕の中で気を失うデジタルは、幸せそうな表情を浮かべていた。