あなたに照らされて
駅の壁に、誰に言われるでもなく整列して立つ浴衣姿の女子達。そのほとんどがLANEの画面とにらめっこをしている。その中に、同じく浴衣姿のシチーも立っていた。シチーはその美貌から『百年に一度の美少女』と称されることもあり、その時も遠巻きから注目を集めていたが、その時のシチーにはそんなことはどうでもよかった。
(……遅いなぁ)
他の女子達には友達なり彼氏なりが合流して皆笑顔を浮かべながら同じ暗闇に紛れてゆくのに、シチーにはなかなか迎えが来なかった。幾度かの『ごめん五分遅れる』『りょ』を繰り返しているうちに、シチーは何だかんだでもう数十分はこうして駅の床のタイルを見つめているのだ。
(アタシが遅れるのは分かるけど、なんでアンタの方が遅れんの)
その日もシチーには撮影とインタビューの予定があった。何もかもを全速力で片付けてから全力で浴衣の着付けとヘアメイクを済ませ、それらがギリギリ崩れない速度を守りつつ最短ルートでここまでやってきたのだ。正直ここまで待たされるとは思っていなかった。
初めは狭かった隣との間隔も少しずつ開いてきて、今ではもう待ち合わせをしている人もまばらになってきた。そろそろ本当に移動しないと間に合わないんじゃないか——と考え始めたその時、カランコロンと硬い木の音を響かせて待ち人がやってきた。
「ごめーん、遅れちゃった」
もうすっかり聞き慣れた笑い混じりの謝罪が聞こえてどう怒ってやろうかと考えながら振り向くと、そこには今まで見たことないくらいめかし込んでいるジョーダンが立っていた。
いつもは大きな束で二つに分けている髪の毛が、上品に後ろでまとめられている。その結び目には控えめな花の髪飾りが付いていて、普段隠れがちな白い首筋が露になっていた。
「……」
「ごめんて〜、ね、浴衣カワイーっしょ?」
彼女のラメ入りグロスの唇が嬉しそうに開く。ジョーダンは腕を広げて袖を広げながら浴衣をくるくる回るように見せてくれた。
彼女のあまりの美しさで呆気にとられていたシチーだったが、彼女の言葉で視線を落とすと、その浴衣は白地に涼し気な水色の花柄があしらわれた品のある綺麗なデザインであることが分かった。帯を紺色にすることによって統一感のあるコーディネートにまとめられている。その帯にも、よく見ないと分からない程度の小さくて上品な刺繍が施されていた。総じて一見すると普段は派手なファッションのジョーダンとは方向性が違うように見えるが、彼女の勝負服のイメージカラーである青をメインカラーとして使うことによって自分らしさも出そうとしているようだ。
「……アンタ、なんだかいつもと違うね」
「えへ、分かる? 気合〜、入れちゃいました☆」
そう言ってジョーダンは普段ネイルを見せびらかす時の手の甲を見せるようなポーズをしてみせた。いつもは全ての指のカラーが違うデザインなのに、今日は浴衣と同じく水色、浅葱色、紺色などといった同系色でまとめられている。
いつものジョーダンのコーディネートはカワイイものをなるべく沢山詰め込む『足し算』がメインだが、今日の彼女のコーディネートからは『引き算』でなるべく統一感を出し、シンプルに——それでいて大人らしさを演出しようとしているのが見て取れる。ジョーダンは顔のパーツこそ大きくて華やかな顔立ちではあるものの、その目や肌、髪は透明感を含んだ色合いだ。今日のコーディネートは普段の華やかさに隠れた、その静かな魅力が引き出されるような組み合わせだった。
「……てか、見すぎじゃね?」
「えっ」
つい癖で今日の彼女を分析してしまった。仕事柄普段から様々な服やメイクを身に纏うことが多いし、自分自身もファッションが好きなので——こうやって手の込んだコーディネートを目の前にされるとつい分解してしまいたくなってしまうのだ。
しかし理由はそれだけではない。シチーは、親友であるジョーダンに以前から片思いをしていた。ジョーダンは、モデルとしてのゴールドシチーではなく、学園のクラスメートとして自分と接してくれる上に時には自分の相談に乗ったりもしてくれる。そして何より——彼女と一緒にいるだけでどんな些細なことが起きたとしても楽しく感じるのだ。
シチーはいつしかジョーダンに対して友達としての好意以上の感情を抱いていた。この感情を自覚したときシチーは困惑したが、彼女とは親友としての距離が一番心地よいから——と思い込むことで溢れそうな気持ちに蓋をしていた。
自分が今どれだけの時間彼女を見つめてしまっていたのか、分からないほど夢中になってしまっていたのが恥ずかしい。シチーは慌てて顔を逸らし、誤魔化すために口を開いた。
「だって、そういう感じ珍しくね?」
「あーね? てかシチーの浴衣も可愛いし!」
そう言ってジョーダンはシチーの全身を見回すようにぐるっと一周する。別に言われたら浴衣くらい見せてあげるのに、自分からぐるぐる回って可愛いな、とシチーは彼女に見られながら考えていた。
そんなことをしている内にふと駅の時計が目に入った——いや、こんなことしてる場合じゃない! 駅でゆっくり話してる浴衣姿の人なんて、もう自分達くらいしか残っていないのだ。ジョーダンにスマホの画面を見せて彼女を急かす。
「てか、早くしないと花火始まるよ」
「えっウソ! ヤッバ、行こ!」
ジョーダンがシチーの腕を取ると、浴衣の柔らかな綿の生地越しに彼女の指の体温が伝わってきた。夜になって蒸し暑くなってきたからかジョーダンの指先はしっとりしていたが、シチーはそれすら愛しく感じていた。
「ね、ココにしよ! てかめっちゃいい席じゃね?」
真っ暗な河川敷を歩いていたジョーダンが、突然大きな声を上げた。彼女の言う通りそこはちょうど座れそうな石段になっていて、周りには誰もいない。二人で並んで腰掛けると、ちょうど真正面に花火が上がるのが見えそうな絶好のポジションだった。
「ホントだ」
「ぶふ、これ石過ぎて座れんのに皆スルーしてんね。ウケる」
そう言ってジョーダンは芝地に各々のシートを敷いて座る人達の方を見やった。花火大会の運営によって張られた規制線のそばまで花火客がすし詰めになっている。
シチーが持ってきていたシートを石に掛け腰を下ろすと、ジョーダンもそれに続いた。一番近くで花火を見られるのは確かに川の近くかもしれないが、シチーとっては二人きりになれる、という条件のほうが何倍も大事だった。
「フフ、そうだね」
口元を手で抑えているのにフフフと声を漏らすジョーダンがなんだか子供のようで、こちらもつい笑みを溢してしまう。いつも仕事で色々な表情を要求される分表情を作るのはかなり得意にはなったものの、ことジョーダンの隣では溢れる感情を隠すのにはまだまだ練習が必要だった。胸から湧き上がる愛しさをどう隠そうか思案していると、河川敷一帯にスピーカーの声が響き渡った。
「皆様、大変長らくお待たせしました! 夏の恒例——第四〇回花火大会、間もなく開幕いたします!!」
河川敷からはワァッという大きな歓声とともに拍手の音が聞こえてきた。すると間もなく、空に一際大きな花火が打ち上がる。それを皮切りに大小色とりどりの花火が夜空に咲き始めた。
「わっ! 始まったよ、シチー!」
花火から距離のあるところに席を取ったとはいえ、やはり花火が打ち上がる音が大きくてまともに会話できそうにない。シチーは軽く頷いてジョーダンとともに花火を見始めた。
花火が打ち上がり始めてから幾らか時間が経ち、最初の大ぶりで華やかなものに比べて小ぶりで可愛らしい花火が上がるようになってきた。空で咲いた後もう一度軽く弾けるものもあって、ちょっと子供っぽいかもしれないけどなんだか楽しいな、とシチーは思っていた。
「………」
大輪の花火の前ではジョーダンのお喋りも流石に鳴りを潜めるようで、シチーは隣で大人しくしている彼女の方を盗み見た。ジョーダンは空を埋め尽くす花火に目を奪われているようで、顔が夜空に釘付けだ。彼女の白い肌に、花火の赤や青が次々と映る。
(——ああ)
今日、花火大会に来られて良かった。
夏に向けて仕事もレースも増えていく中、ひたすらに忙しかったシチーが今日この花火大会の日に時間を空けられたのはまさに奇跡だった。この日が空く可能性が出てきたとき、シチーは何度もレースの予定表とマネージャーとの共有カレンダーを行き来した。その度にシチーの頭の中にはジョーダンの喜ぶ顔がちらついて離れなかった。
こうしてシチーに見詰められてもなお、ジョーダンは眼前の花火に夢中だった。花火の光が彼女の横顔を照らすと、普段より一層透き通った瞳が水晶のようにキラキラと輝いているのが見える。今、この瞳を独占できるのはこの世で自分だけだ——そう思うと堪らなくなり、シチーは気付いたらジョーダンの肩を抱き寄せていた。
「ひゃっ」
腕の中でジョーダンが小さく跳ねる。
「ねぇ。少しだけこうしてていい?」
「えっ——う、うん、いいけど……」
緊張するようなその声色だけでは、ジョーダンがどう思っているのかまでは分からない。思わず腕を絡めてしまったはいいものの、後から不安な気持ちが付いてきてしまった。彼女に嫌がられてはないだろうか——不安な気持ちで彼女の顔を覗き込むと、ジョーダンの顔は今までに見たことがないくらい真っ赤になっていた。
(——!)
律儀にちょこんと折り畳まれた彼女の耳が、胸を満たす愛しさを更に煽る。花火なんかもう見られないくらいに、もっともっと自分だけを見てほしい。
「ジョーダン」
名前を呼んで頬を撫ぜると、ラメのまたたく瞼が大きく開かれた。こちらの出方を窺う彼女の口が無防備に開かれているのが目に入って——
「好きだよ」
——シチーは衝動のままにその唇を奪った。
「これにて第四〇回花火大会は終了です! 皆様、ありがとうございました!」
そんなアナウンスが流れると、開幕の時よりもやや興奮気味の拍手が河川敷を満たした。花火大会の終わりを告げる花火の煙が、行き場を失った鳥のように空を漂っている。
じんわりと汗ばんだ花火客達が一人、二人と横を通り過ぎてゆく。その中に、花火が終わってもなお石段で座り尽くすシチーとジョーダンを気に掛ける者はいない。
(ああ、どうしよう……!)
ジョーダンに、告白どころかキスまでしてしまった。彼女だってきっと今日は楽しみにしていてくれていたはずだ。なのにこんな形でムードを壊すようなことをしてしまって嫌われたかもしれない。そんな後悔と羞恥心が渦巻く中、シチーはとにかくさっきのことは無かったことにしようと考えた。
「ジョ、ジョーダン、アタシたちも行こ」
「…………」
シチーは腰を上げてジョーダンを促すが、彼女は俯いたまま動こうとしない。やはり嫌われてしまったのだろうか。好きな人と花火大会に来られて最高の日になるはずだったのに、その好きな人に嫌な思いをさせてしまった。一番傷つけたくなかった人を、一番最低な形で傷つけてしまったかもしれない——そんな思いが頭の中を浸した。
「ジョーダン、ごめん、アタシ——」
「……怒ってないから」
「えっ」
小さくなってしまったジョーダンから予想できなかった言葉が聞こえて、思わず驚きの声が口を衝いて出た。
「……シチー、まだ……一緒にいよ」
「えっ——う、うん」
シチーは戸惑いながらもなんとか返事をした。花火大会が終わった今、周りは暗闇に包まれていてジョーダンの表情は窺うことができない。怒っていないと言ってくれたということは、先ほど自分がしたことを許してくれた、と取っていいのだろう。それならなぜ顔を上げてくれないのだろうか。石段の上から一つも動こうとしないジョーダンの心の内が分からず、シチーは半ば不安な気持ちで再び腰を下ろした。
先程まで宛もなく漂っていた花火の煙はとうの昔に空に溶け、河川敷を埋め尽くしていた花火客達もいつの間にか彼方に消えてしまった。聞こえるのは虫の鳴き声だけで、花火がいなくなった空では星々がその居場所を思い出したかのように静かに瞬いている。シチーはそんな景色を見ながら、不安げに脈打つ胸を落ち着かせようと必死になった。
夜風が二人の間を吹き抜けたとき、ジョーダンが静かに名前を呼んだ。
「……ねぇ、シチー」
彼女の次の言葉が全く予想できず、彼女の顔を見られない。咄嗟のことで、シチーは動揺を声色に滲ませてしまった。
「な、何……」
「…………さっきの好きって……、本当?」
「えっ——」
彼女の予想外の問いに、思わずシチーは声を上ずらせた。
ジョーダンは怒っていないと言ってはくれたけど、自分の告白を受け入れてくれるとも限らない。もしかしたら自分のことをただの友人としてしか見ていないかもしれない。いっそ冗談と言って逃げてしまおうか——そんな不誠実な考えが頭を僅かに掠めた。
「えっと——」
でももしここで嘘をつくなんてことがあれば、自分は一生自分を許せなくなる気がするし、これまで自分と真っ直ぐ向き合ってきてくれた彼女に失礼だと思った。決意するような気持ちで隣を見ると、ジョーダンは膝に顔を沈ませながらも、こちらを不安そうに見つめている。丁寧に纏められていた髪がほんのだけ崩れて、毛束がいくつか解けていた。
「——本当。……アタシは、ジョーダンのことが好き」
自らを落ち着かせるようにゆっくりそう言うと、ジョーダンの表情が柔らかく緩んだ。
「……ほんと? うれしい……」
シチーが告白した後も彼女は変わらず膝に顔を沈めたままだったが、彼女の纏う空気がどこか甘くなったような感じがした。
「ふふ。あたしもシチーのこと、好きだよ」
ジョーダンが、いつものへらりとした——だけど今にも泣いてしまいそうな笑顔を浮かべた。瞳の周りに、透けるような輝きを纏っている。彼女の瞳は、今日見たどの光よりも美しかった。
「……っ、そう、だったの」
喉が詰まりそうだった。先ほどまでの緊張とは違う、胸の奥から湧いて出てくる熱い何かが身体中を駆け巡る。嬉しくてどうにかなりそうだ。
「……アタシたち、両想いじゃん」
「あはは、やば……」
照れ隠しなのか、ジョーダンが笑う。その笑い声を聞いていると、どうしようもないくらいに愛しさが増した。
「ね、シチー」
「何?」
「……もう少しだけ、ここにいよ?」
ジョーダンは膝を抱えたまま首を傾げた。彼女の紅い頬が白い月明かりに照らされている。
「うん」
シチーは短く返事をして、ジョーダンの手を取った。すると彼女は一瞬驚いたような顔を見せた後、またあの甘い笑みに戻った。彼女の手は指先まで熱くて、そんな彼女の体温にまたくらりとしてしまう。
繋いだ手をどちらからともなくゆっくりと引き寄せると、互いの肩が触れ合った。シチーとジョーダンは肩を掠めるくすぐったい感覚に思わず小さな笑い声を洩らす。そんな二人を満天の星は静かに見守っていた。
二人はそのまましばらく静かに言葉を交わしながら、寄り添って夜空を見上げ続けた。夏にはもう終わりが見え始めているが、二人の恋は始まったばかりだ。
(……遅いなぁ)
他の女子達には友達なり彼氏なりが合流して皆笑顔を浮かべながら同じ暗闇に紛れてゆくのに、シチーにはなかなか迎えが来なかった。幾度かの『ごめん五分遅れる』『りょ』を繰り返しているうちに、シチーは何だかんだでもう数十分はこうして駅の床のタイルを見つめているのだ。
(アタシが遅れるのは分かるけど、なんでアンタの方が遅れんの)
その日もシチーには撮影とインタビューの予定があった。何もかもを全速力で片付けてから全力で浴衣の着付けとヘアメイクを済ませ、それらがギリギリ崩れない速度を守りつつ最短ルートでここまでやってきたのだ。正直ここまで待たされるとは思っていなかった。
初めは狭かった隣との間隔も少しずつ開いてきて、今ではもう待ち合わせをしている人もまばらになってきた。そろそろ本当に移動しないと間に合わないんじゃないか——と考え始めたその時、カランコロンと硬い木の音を響かせて待ち人がやってきた。
「ごめーん、遅れちゃった」
もうすっかり聞き慣れた笑い混じりの謝罪が聞こえてどう怒ってやろうかと考えながら振り向くと、そこには今まで見たことないくらいめかし込んでいるジョーダンが立っていた。
いつもは大きな束で二つに分けている髪の毛が、上品に後ろでまとめられている。その結び目には控えめな花の髪飾りが付いていて、普段隠れがちな白い首筋が露になっていた。
「……」
「ごめんて〜、ね、浴衣カワイーっしょ?」
彼女のラメ入りグロスの唇が嬉しそうに開く。ジョーダンは腕を広げて袖を広げながら浴衣をくるくる回るように見せてくれた。
彼女のあまりの美しさで呆気にとられていたシチーだったが、彼女の言葉で視線を落とすと、その浴衣は白地に涼し気な水色の花柄があしらわれた品のある綺麗なデザインであることが分かった。帯を紺色にすることによって統一感のあるコーディネートにまとめられている。その帯にも、よく見ないと分からない程度の小さくて上品な刺繍が施されていた。総じて一見すると普段は派手なファッションのジョーダンとは方向性が違うように見えるが、彼女の勝負服のイメージカラーである青をメインカラーとして使うことによって自分らしさも出そうとしているようだ。
「……アンタ、なんだかいつもと違うね」
「えへ、分かる? 気合〜、入れちゃいました☆」
そう言ってジョーダンは普段ネイルを見せびらかす時の手の甲を見せるようなポーズをしてみせた。いつもは全ての指のカラーが違うデザインなのに、今日は浴衣と同じく水色、浅葱色、紺色などといった同系色でまとめられている。
いつものジョーダンのコーディネートはカワイイものをなるべく沢山詰め込む『足し算』がメインだが、今日の彼女のコーディネートからは『引き算』でなるべく統一感を出し、シンプルに——それでいて大人らしさを演出しようとしているのが見て取れる。ジョーダンは顔のパーツこそ大きくて華やかな顔立ちではあるものの、その目や肌、髪は透明感を含んだ色合いだ。今日のコーディネートは普段の華やかさに隠れた、その静かな魅力が引き出されるような組み合わせだった。
「……てか、見すぎじゃね?」
「えっ」
つい癖で今日の彼女を分析してしまった。仕事柄普段から様々な服やメイクを身に纏うことが多いし、自分自身もファッションが好きなので——こうやって手の込んだコーディネートを目の前にされるとつい分解してしまいたくなってしまうのだ。
しかし理由はそれだけではない。シチーは、親友であるジョーダンに以前から片思いをしていた。ジョーダンは、モデルとしてのゴールドシチーではなく、学園のクラスメートとして自分と接してくれる上に時には自分の相談に乗ったりもしてくれる。そして何より——彼女と一緒にいるだけでどんな些細なことが起きたとしても楽しく感じるのだ。
シチーはいつしかジョーダンに対して友達としての好意以上の感情を抱いていた。この感情を自覚したときシチーは困惑したが、彼女とは親友としての距離が一番心地よいから——と思い込むことで溢れそうな気持ちに蓋をしていた。
自分が今どれだけの時間彼女を見つめてしまっていたのか、分からないほど夢中になってしまっていたのが恥ずかしい。シチーは慌てて顔を逸らし、誤魔化すために口を開いた。
「だって、そういう感じ珍しくね?」
「あーね? てかシチーの浴衣も可愛いし!」
そう言ってジョーダンはシチーの全身を見回すようにぐるっと一周する。別に言われたら浴衣くらい見せてあげるのに、自分からぐるぐる回って可愛いな、とシチーは彼女に見られながら考えていた。
そんなことをしている内にふと駅の時計が目に入った——いや、こんなことしてる場合じゃない! 駅でゆっくり話してる浴衣姿の人なんて、もう自分達くらいしか残っていないのだ。ジョーダンにスマホの画面を見せて彼女を急かす。
「てか、早くしないと花火始まるよ」
「えっウソ! ヤッバ、行こ!」
ジョーダンがシチーの腕を取ると、浴衣の柔らかな綿の生地越しに彼女の指の体温が伝わってきた。夜になって蒸し暑くなってきたからかジョーダンの指先はしっとりしていたが、シチーはそれすら愛しく感じていた。
「ね、ココにしよ! てかめっちゃいい席じゃね?」
真っ暗な河川敷を歩いていたジョーダンが、突然大きな声を上げた。彼女の言う通りそこはちょうど座れそうな石段になっていて、周りには誰もいない。二人で並んで腰掛けると、ちょうど真正面に花火が上がるのが見えそうな絶好のポジションだった。
「ホントだ」
「ぶふ、これ石過ぎて座れんのに皆スルーしてんね。ウケる」
そう言ってジョーダンは芝地に各々のシートを敷いて座る人達の方を見やった。花火大会の運営によって張られた規制線のそばまで花火客がすし詰めになっている。
シチーが持ってきていたシートを石に掛け腰を下ろすと、ジョーダンもそれに続いた。一番近くで花火を見られるのは確かに川の近くかもしれないが、シチーとっては二人きりになれる、という条件のほうが何倍も大事だった。
「フフ、そうだね」
口元を手で抑えているのにフフフと声を漏らすジョーダンがなんだか子供のようで、こちらもつい笑みを溢してしまう。いつも仕事で色々な表情を要求される分表情を作るのはかなり得意にはなったものの、ことジョーダンの隣では溢れる感情を隠すのにはまだまだ練習が必要だった。胸から湧き上がる愛しさをどう隠そうか思案していると、河川敷一帯にスピーカーの声が響き渡った。
「皆様、大変長らくお待たせしました! 夏の恒例——第四〇回花火大会、間もなく開幕いたします!!」
河川敷からはワァッという大きな歓声とともに拍手の音が聞こえてきた。すると間もなく、空に一際大きな花火が打ち上がる。それを皮切りに大小色とりどりの花火が夜空に咲き始めた。
「わっ! 始まったよ、シチー!」
花火から距離のあるところに席を取ったとはいえ、やはり花火が打ち上がる音が大きくてまともに会話できそうにない。シチーは軽く頷いてジョーダンとともに花火を見始めた。
花火が打ち上がり始めてから幾らか時間が経ち、最初の大ぶりで華やかなものに比べて小ぶりで可愛らしい花火が上がるようになってきた。空で咲いた後もう一度軽く弾けるものもあって、ちょっと子供っぽいかもしれないけどなんだか楽しいな、とシチーは思っていた。
「………」
大輪の花火の前ではジョーダンのお喋りも流石に鳴りを潜めるようで、シチーは隣で大人しくしている彼女の方を盗み見た。ジョーダンは空を埋め尽くす花火に目を奪われているようで、顔が夜空に釘付けだ。彼女の白い肌に、花火の赤や青が次々と映る。
(——ああ)
今日、花火大会に来られて良かった。
夏に向けて仕事もレースも増えていく中、ひたすらに忙しかったシチーが今日この花火大会の日に時間を空けられたのはまさに奇跡だった。この日が空く可能性が出てきたとき、シチーは何度もレースの予定表とマネージャーとの共有カレンダーを行き来した。その度にシチーの頭の中にはジョーダンの喜ぶ顔がちらついて離れなかった。
こうしてシチーに見詰められてもなお、ジョーダンは眼前の花火に夢中だった。花火の光が彼女の横顔を照らすと、普段より一層透き通った瞳が水晶のようにキラキラと輝いているのが見える。今、この瞳を独占できるのはこの世で自分だけだ——そう思うと堪らなくなり、シチーは気付いたらジョーダンの肩を抱き寄せていた。
「ひゃっ」
腕の中でジョーダンが小さく跳ねる。
「ねぇ。少しだけこうしてていい?」
「えっ——う、うん、いいけど……」
緊張するようなその声色だけでは、ジョーダンがどう思っているのかまでは分からない。思わず腕を絡めてしまったはいいものの、後から不安な気持ちが付いてきてしまった。彼女に嫌がられてはないだろうか——不安な気持ちで彼女の顔を覗き込むと、ジョーダンの顔は今までに見たことがないくらい真っ赤になっていた。
(——!)
律儀にちょこんと折り畳まれた彼女の耳が、胸を満たす愛しさを更に煽る。花火なんかもう見られないくらいに、もっともっと自分だけを見てほしい。
「ジョーダン」
名前を呼んで頬を撫ぜると、ラメのまたたく瞼が大きく開かれた。こちらの出方を窺う彼女の口が無防備に開かれているのが目に入って——
「好きだよ」
——シチーは衝動のままにその唇を奪った。
「これにて第四〇回花火大会は終了です! 皆様、ありがとうございました!」
そんなアナウンスが流れると、開幕の時よりもやや興奮気味の拍手が河川敷を満たした。花火大会の終わりを告げる花火の煙が、行き場を失った鳥のように空を漂っている。
じんわりと汗ばんだ花火客達が一人、二人と横を通り過ぎてゆく。その中に、花火が終わってもなお石段で座り尽くすシチーとジョーダンを気に掛ける者はいない。
(ああ、どうしよう……!)
ジョーダンに、告白どころかキスまでしてしまった。彼女だってきっと今日は楽しみにしていてくれていたはずだ。なのにこんな形でムードを壊すようなことをしてしまって嫌われたかもしれない。そんな後悔と羞恥心が渦巻く中、シチーはとにかくさっきのことは無かったことにしようと考えた。
「ジョ、ジョーダン、アタシたちも行こ」
「…………」
シチーは腰を上げてジョーダンを促すが、彼女は俯いたまま動こうとしない。やはり嫌われてしまったのだろうか。好きな人と花火大会に来られて最高の日になるはずだったのに、その好きな人に嫌な思いをさせてしまった。一番傷つけたくなかった人を、一番最低な形で傷つけてしまったかもしれない——そんな思いが頭の中を浸した。
「ジョーダン、ごめん、アタシ——」
「……怒ってないから」
「えっ」
小さくなってしまったジョーダンから予想できなかった言葉が聞こえて、思わず驚きの声が口を衝いて出た。
「……シチー、まだ……一緒にいよ」
「えっ——う、うん」
シチーは戸惑いながらもなんとか返事をした。花火大会が終わった今、周りは暗闇に包まれていてジョーダンの表情は窺うことができない。怒っていないと言ってくれたということは、先ほど自分がしたことを許してくれた、と取っていいのだろう。それならなぜ顔を上げてくれないのだろうか。石段の上から一つも動こうとしないジョーダンの心の内が分からず、シチーは半ば不安な気持ちで再び腰を下ろした。
先程まで宛もなく漂っていた花火の煙はとうの昔に空に溶け、河川敷を埋め尽くしていた花火客達もいつの間にか彼方に消えてしまった。聞こえるのは虫の鳴き声だけで、花火がいなくなった空では星々がその居場所を思い出したかのように静かに瞬いている。シチーはそんな景色を見ながら、不安げに脈打つ胸を落ち着かせようと必死になった。
夜風が二人の間を吹き抜けたとき、ジョーダンが静かに名前を呼んだ。
「……ねぇ、シチー」
彼女の次の言葉が全く予想できず、彼女の顔を見られない。咄嗟のことで、シチーは動揺を声色に滲ませてしまった。
「な、何……」
「…………さっきの好きって……、本当?」
「えっ——」
彼女の予想外の問いに、思わずシチーは声を上ずらせた。
ジョーダンは怒っていないと言ってはくれたけど、自分の告白を受け入れてくれるとも限らない。もしかしたら自分のことをただの友人としてしか見ていないかもしれない。いっそ冗談と言って逃げてしまおうか——そんな不誠実な考えが頭を僅かに掠めた。
「えっと——」
でももしここで嘘をつくなんてことがあれば、自分は一生自分を許せなくなる気がするし、これまで自分と真っ直ぐ向き合ってきてくれた彼女に失礼だと思った。決意するような気持ちで隣を見ると、ジョーダンは膝に顔を沈ませながらも、こちらを不安そうに見つめている。丁寧に纏められていた髪がほんのだけ崩れて、毛束がいくつか解けていた。
「——本当。……アタシは、ジョーダンのことが好き」
自らを落ち着かせるようにゆっくりそう言うと、ジョーダンの表情が柔らかく緩んだ。
「……ほんと? うれしい……」
シチーが告白した後も彼女は変わらず膝に顔を沈めたままだったが、彼女の纏う空気がどこか甘くなったような感じがした。
「ふふ。あたしもシチーのこと、好きだよ」
ジョーダンが、いつものへらりとした——だけど今にも泣いてしまいそうな笑顔を浮かべた。瞳の周りに、透けるような輝きを纏っている。彼女の瞳は、今日見たどの光よりも美しかった。
「……っ、そう、だったの」
喉が詰まりそうだった。先ほどまでの緊張とは違う、胸の奥から湧いて出てくる熱い何かが身体中を駆け巡る。嬉しくてどうにかなりそうだ。
「……アタシたち、両想いじゃん」
「あはは、やば……」
照れ隠しなのか、ジョーダンが笑う。その笑い声を聞いていると、どうしようもないくらいに愛しさが増した。
「ね、シチー」
「何?」
「……もう少しだけ、ここにいよ?」
ジョーダンは膝を抱えたまま首を傾げた。彼女の紅い頬が白い月明かりに照らされている。
「うん」
シチーは短く返事をして、ジョーダンの手を取った。すると彼女は一瞬驚いたような顔を見せた後、またあの甘い笑みに戻った。彼女の手は指先まで熱くて、そんな彼女の体温にまたくらりとしてしまう。
繋いだ手をどちらからともなくゆっくりと引き寄せると、互いの肩が触れ合った。シチーとジョーダンは肩を掠めるくすぐったい感覚に思わず小さな笑い声を洩らす。そんな二人を満天の星は静かに見守っていた。
二人はそのまましばらく静かに言葉を交わしながら、寄り添って夜空を見上げ続けた。夏にはもう終わりが見え始めているが、二人の恋は始まったばかりだ。