照月
「アンタは1年後、有馬で走るよ」
――デビュー前のアタシに聞かせたら、どんな反応を返すだろう。
数あるG1レースの中でも特に注目度の高いレースの一つ、有馬記念。三冠レースを走り切ったものの、結局『キレイなお人形』を脱ぎ捨てることのできなかったアタシは、トレーナーに押されて有馬記念に挑戦した。
アタシはそこでタマモ先輩を倒して1着になったのに。皆、アタシを見てくれてなかった。そこに『キレイ』なアタシはいても、『強い』アタシはいなかった。
もう、走る意味なんて無かった。
「シチー……そろそろ寝なくていいんスか?」
暗闇の中、背中でバンブー先輩の心配そうな声を受け止める。
「あー……そろそろ寝ますから」
アタシは先輩の顔を見ずにスマホを触りながら返事をする。もう寝ないといけない時間を過ぎていることくらい分かっている。プロのモデルとしても、レースに挑むウマ娘としても、コンディションを整えるために睡眠時間は確保しなければいけない。
でも『レースに挑むウマ娘』としてのゴールドシチーは、存在意義を失いかけている。有馬記念が終わってからは、こうやってスマホを触って時間を浪費するのが増えたように感じる。
「……そうっスか。夜更かしはダメっスよ、シチー」
布団の擦れる音がする。そしてバンブー先輩はすぐに寝息を立て始めた。
「……はぁ」
アタシは溜め息を吐いてエゴサーチを進める。
今日もSNSには『キレイ』とか『美しい』しか並んでいない。違う。アタシが欲しいのはそんな言葉じゃない。でも、どれだけスワイプしても同じような言葉しか出てこなかった。
有馬記念の後から、なんだかアタシがアタシじゃなくなったみたいに、今までだったら絶対にやらなかったことをやってしまう。トレーニングに支障が出るのは……まぁ、今はいいとして、モデルの仕事に影響が出たらヤバイ。どうにかして抜け出さないとな……。と考えながら、アタシはどんどんインターネットの海に溺れていく。
すると突然、LANEの通知が押し寄せてきた。ジョーダンからだ。
『たすけてシチー!!』
『ヤバイ』
『とにかく来て』
『ぴんち』
ジョーダンがこんなに慌ててLANEしてくるなんて珍しい。『行くわ』とだけ返信して、アタシはバンブー先輩が寝ていることを確認してから、そっと部屋を抜け出した。夜の寮の廊下は静かな冷たさがあり思わず身震いしてしまうが、気にせず駆け出した。
ジョーダンは自分の部屋の前ではなく、階段の踊り場で一人で佇んでいた。誰かにバレてはいけないので、お互いジェスチャーでコミュニケーションをとる。
「どしたの」
なるべく響かないように小声で話しかける。
「ね、こっち」
ジョーダンに腕を掴まれて引っ張られる。なんだかいつものお気楽なジョーダンとは違って真剣な雰囲気があった。
「ちょ、どこ行くの」
「いいから。あ、これ」
ジョーダンは懐からコンパクトに折りたたまれたダウンジャケットを取り出し、手渡してくれた。
「は?どこまで行くつもり?」
「…………」
「ピンチって何だったの」
「…………」
「ねぇジョーダンってば!」
一向に喋ろうとしない。彼女がただひたすら黙々と歩いていくだけなので、アタシも根負けして後を追うしかなかった。
ジョーダンは寮の敷地を抜けても、アタシの腕を掴みながらズンズン歩いていく。アタシはとっくの昔に寒さに負けて、手渡されたダウンジャケットを着ていた。時計はしばらく見られていないが、大体零時頃だろうか。夜に外に出たことが無いわけでは勿論無いが、知っている時間帯とは街の雰囲気がまた違う気がする。
アタシがゆっくり街の雰囲気を観察している間にも、ジョーダンはアタシの腕を取ってどこかへ向かっている。
――まさかこの方向、駅に向かってる?
え、どこまで行くつもりなんだよ。
「ちょっと! いい加減どこに行くか教えてよ」
やっとジョーダンが立ち止まる。
「……海」
ついに彼女が口を開いたと思ったら、突拍子のない答えでアタシは絶句するばかりだった。
「……なんで?」
やっとの思いで理由を尋ねると、僅かにジョーダンの耳が揺れる。目を合わせずに彼女は語り始めた。
「……なんか、シチー最近元気ないじゃん。あたしが何か気の利いたことを言えればよかったんだけど、ヘタなこと言える雰囲気じゃねーし。だったら無理矢理にでもどっか連れて行っちゃえ、と思って」
――なんだ。
ジョーダンの様子がいつもと何もかもが違うから、何を言い出すかと思ったら、いつも通りの彼女だった。――他人のことを人一倍思ってるくせに、いざ行動に移すときは不器用で、それでいて自分の気持ちに正直なウマ娘。それがアタシの親友、トーセンジョーダンだった。
「だから、海?」
「うん」
「……ぷっ、あはは」
彼女の行動に合点がいったアタシは、思わず吹き出してしまった。笑い声を聞いてジョーダンがこちらを振り向く。
腕を引っ張られ始めてから、初めてこちらを向いてくれた瞬間だった。ちょっと緊張したような表情をしている。
「ちょ……何笑ってんだよ!」
「ごめんって。なんか、アンタらしくてさ」
「……そう?」
「うん。……ありがとね」
ジョーダンはアタシの言葉を聞くと、少し笑ってやっと手を離してくれた。
★
アタシ達が乗ったのは最終電車だった。
終電には様々な人がいた。くたびれたサラリーマン、眠たそうなOL、テンションが高い学生集団。アタシ達は他の人からはなるべく遠く離れた座席に、並んで座った。色々な人がいるけど、これから海を見に行くのは自分達だけなんだと考えると、ささやかな優越感に浸ることができた。
アタシ達を乗せた電車は、夜の街を走り抜けていく。車窓から見える灯りはどんどん少なくなっていき、低い家々が徐々に増えていった。
そういえば、最近はタクシーとか新幹線の移動が多かったからこうやって普通の電車に乗るの、久しぶりかも。列車が鳴らす、タタン、タタンという規則的な音を聞いていると心が整っていく感覚があった。
電車は30分程で終点の海岸に到着した。1月の冷たい空気が肌を刺す。下車する客はアタシ達以外にはいなかった。駅舎はがらんとしていて、なんだか古い感じだった。
「いや〜〜〜、マジで何にもねーわ!」
ジョーダンは電車を降りるとその場でクルクルと回りだした。
「何にもないって、連れてきたのアンタでしょ」
「あはは」
やがて回送列車のアナウンスが響いて、アタシ達が降りた電車は線路の向こうへと消えてしまった。アタシがぼんやりと電車を見つめていると、いつの間に移動したのかジョーダンが遠くから声をかけてきた。
「ねーえシチー、はやく海いこー。うーみー」
「ああ……待って」
慌ててジョーダンを追いかけて改札を出る。
すると、駅舎のすぐ目の前にもう海岸が広がっていた。
正直、海なんて夏合宿でも見たと思っていたけど、その日見た海はまるで違っていた。
「わぁ……」
空も海も黒い。けど、月だけが光っていて、その光が海に一筋の道を作るかのように映っていたのだ。夏合宿に明るくウマ娘達を迎え入れたときとは、全く異なる表情を見せていた。夏合宿とは季節も時間も真逆の海。圧巻だった。
「すごいでしょ。ここの海、結構有名なんだよ」
ジョーダンが得意げな顔をして、アタシの横に立った。
「すごいよ。月、すっごくキレイ……」
――その時、無意識に「キレイ」と発している自分に気付いた。
「ふふん。もっと言っていいよ」
「……なんかアンタに言ってるみたいになるからやだ」
ははっ、とジョーダンが緩んだ笑いを漏らす。それにつられてアタシも笑い始めた。
今さっきアタシ、何も考えずに月に「キレイ」って言ったな。あんなに嫌っていた言葉なのに。そうか、アタシが思ってるよりも皆無意識で言っちゃうものなのかもな……。
「ね、シチー、今からちょっと走らない?」
アタシが月を見ながらぼんやりしていると、突然ジョーダンが提案してきた。
「えっ……いいけど」
「じゃあ、こっからあのなんかボロい建物までね」
ジョーダンが指差したなんかボロい建物までは、パッと見た感じ200メートルくらい離れているように見える。砂浜、しかもこの暗い中だと、いくらウマ娘とはいえどもかなり走りづらいだろう。
「よーーい、ドンッ」
そんなことを考えていると、ジョーダンはアタシの返事も聞かずに飛び出していった。
「えっ、ちょっ、待っ……もう!!」
仕方なくアタシも彼女の尻尾を追って砂浜を駆け出す。
走り出してみると、やっぱり砂に足が取られて走り辛いし、そもそも走るなんて思ってないから適当な靴だし、何が落ちてるか分かんないから地面に目を凝らしながら走らないといけなくてもう最悪だった。それに潮風も強いから、きっと明日には髪がパリパリになってしまうだろう。
でもアタシの前を走るジョーダンはそんなことは気にせず前だけを向いて懸命に、楽しそうに走っている。
ああ、なんかアタシまで楽しくなってきた。
「待ってよーー、ジョーダン!!!!」
アタシが走りながら渾身の力で叫ぶと、彼女はこちらを向いて嬉しそうな顔を見せた。
「はぁ……はぁ……」
アタシ達はゴールのボロ屋の前でへたりこんでいた。
地面についた腕がズブズブと砂に埋まる。
「ちょっと……やっぱ無茶すぎっしょ、アンタ……」
「へへっ……」
何も準備せずに全力で走ったものだから、全身がバクバクと脈打ってるのを感じる。電車を降りた時はあんなに寒かったのに、寒さなど吹き飛んでしまったようだ。
……いや、寒さだけじゃない、アタシが抱えていたモヤモヤとか、ストレスとか、そういうものも一緒に少し吹き飛んでいった気がする。
「……なんかアンタのこと見てたら、今のアタシの悩みなんて、ちっぽけなものに思えてきたかも」
隣に座っているジョーダンを見て、アタシは思わずそう呟いた。彼女は驚いたように目を大きく開くと、すぐにいつもの調子に戻って口を開いた。
「そっか、それは良かった!」
「うん……」
「あたしの作戦成功〜!」
「そうだね」
それからアタシ達はしばらく黙って座っていた。
その場には、アタシとジョーダンと海のささめきだけがあった。
しばらく経ってふと携帯を確認すると、時計は深夜2時を回っていた。
「うわ、もう2時か」
「早いねぇ〜」
「ね、これからどうすんの?」
「いや、それが決めてないんだよね。シチーのことが心配すぎて、後先決めずにLANEしちゃったってゆーか」
「えぇ……そんなに?」
……そんなに心配させるほど腑抜けた様子だったんだ、アタシ。なんか恥ずかしいな……。
「まぁ、近くにネカフェかホテルかあるっしょ。今からブラブラ行っちゃお〜」
「のんきすぎかよ……」
ジョーダンはアタシの言葉を物ともせず、カッカッカッ、とネイルでスマホの画面を鳴らしながら近くの泊まれるところを探す。
「あ、あったあった! ちょっと遠いけど、行けそうだよ」
ずい、とアタシの目の前にスマホを掲げて見せてくれた。どうやら大手のインターネットカフェチェーンのようだ。
「おお……こんなところにもあるもんなんだね……」
ジョーダンはさっと立ち上がる。
「ね、シチー、いっぱい喋りながら歩こ!」
そう言うと、アタシの手を握ってきた。
「しょうがないなー。 今日だけだよ?」
アタシは彼女の手を握り返して、服についた砂を払いながら砂浜を去った。
「……ありがとう、ジョーダン」
「えへっ、どいたま〜☆」
二人が去った砂浜には、静かな海のささめきだけが残っていた。
――デビュー前のアタシに聞かせたら、どんな反応を返すだろう。
数あるG1レースの中でも特に注目度の高いレースの一つ、有馬記念。三冠レースを走り切ったものの、結局『キレイなお人形』を脱ぎ捨てることのできなかったアタシは、トレーナーに押されて有馬記念に挑戦した。
アタシはそこでタマモ先輩を倒して1着になったのに。皆、アタシを見てくれてなかった。そこに『キレイ』なアタシはいても、『強い』アタシはいなかった。
もう、走る意味なんて無かった。
「シチー……そろそろ寝なくていいんスか?」
暗闇の中、背中でバンブー先輩の心配そうな声を受け止める。
「あー……そろそろ寝ますから」
アタシは先輩の顔を見ずにスマホを触りながら返事をする。もう寝ないといけない時間を過ぎていることくらい分かっている。プロのモデルとしても、レースに挑むウマ娘としても、コンディションを整えるために睡眠時間は確保しなければいけない。
でも『レースに挑むウマ娘』としてのゴールドシチーは、存在意義を失いかけている。有馬記念が終わってからは、こうやってスマホを触って時間を浪費するのが増えたように感じる。
「……そうっスか。夜更かしはダメっスよ、シチー」
布団の擦れる音がする。そしてバンブー先輩はすぐに寝息を立て始めた。
「……はぁ」
アタシは溜め息を吐いてエゴサーチを進める。
今日もSNSには『キレイ』とか『美しい』しか並んでいない。違う。アタシが欲しいのはそんな言葉じゃない。でも、どれだけスワイプしても同じような言葉しか出てこなかった。
有馬記念の後から、なんだかアタシがアタシじゃなくなったみたいに、今までだったら絶対にやらなかったことをやってしまう。トレーニングに支障が出るのは……まぁ、今はいいとして、モデルの仕事に影響が出たらヤバイ。どうにかして抜け出さないとな……。と考えながら、アタシはどんどんインターネットの海に溺れていく。
すると突然、LANEの通知が押し寄せてきた。ジョーダンからだ。
『たすけてシチー!!』
『ヤバイ』
『とにかく来て』
『ぴんち』
ジョーダンがこんなに慌ててLANEしてくるなんて珍しい。『行くわ』とだけ返信して、アタシはバンブー先輩が寝ていることを確認してから、そっと部屋を抜け出した。夜の寮の廊下は静かな冷たさがあり思わず身震いしてしまうが、気にせず駆け出した。
ジョーダンは自分の部屋の前ではなく、階段の踊り場で一人で佇んでいた。誰かにバレてはいけないので、お互いジェスチャーでコミュニケーションをとる。
「どしたの」
なるべく響かないように小声で話しかける。
「ね、こっち」
ジョーダンに腕を掴まれて引っ張られる。なんだかいつものお気楽なジョーダンとは違って真剣な雰囲気があった。
「ちょ、どこ行くの」
「いいから。あ、これ」
ジョーダンは懐からコンパクトに折りたたまれたダウンジャケットを取り出し、手渡してくれた。
「は?どこまで行くつもり?」
「…………」
「ピンチって何だったの」
「…………」
「ねぇジョーダンってば!」
一向に喋ろうとしない。彼女がただひたすら黙々と歩いていくだけなので、アタシも根負けして後を追うしかなかった。
ジョーダンは寮の敷地を抜けても、アタシの腕を掴みながらズンズン歩いていく。アタシはとっくの昔に寒さに負けて、手渡されたダウンジャケットを着ていた。時計はしばらく見られていないが、大体零時頃だろうか。夜に外に出たことが無いわけでは勿論無いが、知っている時間帯とは街の雰囲気がまた違う気がする。
アタシがゆっくり街の雰囲気を観察している間にも、ジョーダンはアタシの腕を取ってどこかへ向かっている。
――まさかこの方向、駅に向かってる?
え、どこまで行くつもりなんだよ。
「ちょっと! いい加減どこに行くか教えてよ」
やっとジョーダンが立ち止まる。
「……海」
ついに彼女が口を開いたと思ったら、突拍子のない答えでアタシは絶句するばかりだった。
「……なんで?」
やっとの思いで理由を尋ねると、僅かにジョーダンの耳が揺れる。目を合わせずに彼女は語り始めた。
「……なんか、シチー最近元気ないじゃん。あたしが何か気の利いたことを言えればよかったんだけど、ヘタなこと言える雰囲気じゃねーし。だったら無理矢理にでもどっか連れて行っちゃえ、と思って」
――なんだ。
ジョーダンの様子がいつもと何もかもが違うから、何を言い出すかと思ったら、いつも通りの彼女だった。――他人のことを人一倍思ってるくせに、いざ行動に移すときは不器用で、それでいて自分の気持ちに正直なウマ娘。それがアタシの親友、トーセンジョーダンだった。
「だから、海?」
「うん」
「……ぷっ、あはは」
彼女の行動に合点がいったアタシは、思わず吹き出してしまった。笑い声を聞いてジョーダンがこちらを振り向く。
腕を引っ張られ始めてから、初めてこちらを向いてくれた瞬間だった。ちょっと緊張したような表情をしている。
「ちょ……何笑ってんだよ!」
「ごめんって。なんか、アンタらしくてさ」
「……そう?」
「うん。……ありがとね」
ジョーダンはアタシの言葉を聞くと、少し笑ってやっと手を離してくれた。
★
アタシ達が乗ったのは最終電車だった。
終電には様々な人がいた。くたびれたサラリーマン、眠たそうなOL、テンションが高い学生集団。アタシ達は他の人からはなるべく遠く離れた座席に、並んで座った。色々な人がいるけど、これから海を見に行くのは自分達だけなんだと考えると、ささやかな優越感に浸ることができた。
アタシ達を乗せた電車は、夜の街を走り抜けていく。車窓から見える灯りはどんどん少なくなっていき、低い家々が徐々に増えていった。
そういえば、最近はタクシーとか新幹線の移動が多かったからこうやって普通の電車に乗るの、久しぶりかも。列車が鳴らす、タタン、タタンという規則的な音を聞いていると心が整っていく感覚があった。
電車は30分程で終点の海岸に到着した。1月の冷たい空気が肌を刺す。下車する客はアタシ達以外にはいなかった。駅舎はがらんとしていて、なんだか古い感じだった。
「いや〜〜〜、マジで何にもねーわ!」
ジョーダンは電車を降りるとその場でクルクルと回りだした。
「何にもないって、連れてきたのアンタでしょ」
「あはは」
やがて回送列車のアナウンスが響いて、アタシ達が降りた電車は線路の向こうへと消えてしまった。アタシがぼんやりと電車を見つめていると、いつの間に移動したのかジョーダンが遠くから声をかけてきた。
「ねーえシチー、はやく海いこー。うーみー」
「ああ……待って」
慌ててジョーダンを追いかけて改札を出る。
すると、駅舎のすぐ目の前にもう海岸が広がっていた。
正直、海なんて夏合宿でも見たと思っていたけど、その日見た海はまるで違っていた。
「わぁ……」
空も海も黒い。けど、月だけが光っていて、その光が海に一筋の道を作るかのように映っていたのだ。夏合宿に明るくウマ娘達を迎え入れたときとは、全く異なる表情を見せていた。夏合宿とは季節も時間も真逆の海。圧巻だった。
「すごいでしょ。ここの海、結構有名なんだよ」
ジョーダンが得意げな顔をして、アタシの横に立った。
「すごいよ。月、すっごくキレイ……」
――その時、無意識に「キレイ」と発している自分に気付いた。
「ふふん。もっと言っていいよ」
「……なんかアンタに言ってるみたいになるからやだ」
ははっ、とジョーダンが緩んだ笑いを漏らす。それにつられてアタシも笑い始めた。
今さっきアタシ、何も考えずに月に「キレイ」って言ったな。あんなに嫌っていた言葉なのに。そうか、アタシが思ってるよりも皆無意識で言っちゃうものなのかもな……。
「ね、シチー、今からちょっと走らない?」
アタシが月を見ながらぼんやりしていると、突然ジョーダンが提案してきた。
「えっ……いいけど」
「じゃあ、こっからあのなんかボロい建物までね」
ジョーダンが指差したなんかボロい建物までは、パッと見た感じ200メートルくらい離れているように見える。砂浜、しかもこの暗い中だと、いくらウマ娘とはいえどもかなり走りづらいだろう。
「よーーい、ドンッ」
そんなことを考えていると、ジョーダンはアタシの返事も聞かずに飛び出していった。
「えっ、ちょっ、待っ……もう!!」
仕方なくアタシも彼女の尻尾を追って砂浜を駆け出す。
走り出してみると、やっぱり砂に足が取られて走り辛いし、そもそも走るなんて思ってないから適当な靴だし、何が落ちてるか分かんないから地面に目を凝らしながら走らないといけなくてもう最悪だった。それに潮風も強いから、きっと明日には髪がパリパリになってしまうだろう。
でもアタシの前を走るジョーダンはそんなことは気にせず前だけを向いて懸命に、楽しそうに走っている。
ああ、なんかアタシまで楽しくなってきた。
「待ってよーー、ジョーダン!!!!」
アタシが走りながら渾身の力で叫ぶと、彼女はこちらを向いて嬉しそうな顔を見せた。
「はぁ……はぁ……」
アタシ達はゴールのボロ屋の前でへたりこんでいた。
地面についた腕がズブズブと砂に埋まる。
「ちょっと……やっぱ無茶すぎっしょ、アンタ……」
「へへっ……」
何も準備せずに全力で走ったものだから、全身がバクバクと脈打ってるのを感じる。電車を降りた時はあんなに寒かったのに、寒さなど吹き飛んでしまったようだ。
……いや、寒さだけじゃない、アタシが抱えていたモヤモヤとか、ストレスとか、そういうものも一緒に少し吹き飛んでいった気がする。
「……なんかアンタのこと見てたら、今のアタシの悩みなんて、ちっぽけなものに思えてきたかも」
隣に座っているジョーダンを見て、アタシは思わずそう呟いた。彼女は驚いたように目を大きく開くと、すぐにいつもの調子に戻って口を開いた。
「そっか、それは良かった!」
「うん……」
「あたしの作戦成功〜!」
「そうだね」
それからアタシ達はしばらく黙って座っていた。
その場には、アタシとジョーダンと海のささめきだけがあった。
しばらく経ってふと携帯を確認すると、時計は深夜2時を回っていた。
「うわ、もう2時か」
「早いねぇ〜」
「ね、これからどうすんの?」
「いや、それが決めてないんだよね。シチーのことが心配すぎて、後先決めずにLANEしちゃったってゆーか」
「えぇ……そんなに?」
……そんなに心配させるほど腑抜けた様子だったんだ、アタシ。なんか恥ずかしいな……。
「まぁ、近くにネカフェかホテルかあるっしょ。今からブラブラ行っちゃお〜」
「のんきすぎかよ……」
ジョーダンはアタシの言葉を物ともせず、カッカッカッ、とネイルでスマホの画面を鳴らしながら近くの泊まれるところを探す。
「あ、あったあった! ちょっと遠いけど、行けそうだよ」
ずい、とアタシの目の前にスマホを掲げて見せてくれた。どうやら大手のインターネットカフェチェーンのようだ。
「おお……こんなところにもあるもんなんだね……」
ジョーダンはさっと立ち上がる。
「ね、シチー、いっぱい喋りながら歩こ!」
そう言うと、アタシの手を握ってきた。
「しょうがないなー。 今日だけだよ?」
アタシは彼女の手を握り返して、服についた砂を払いながら砂浜を去った。
「……ありがとう、ジョーダン」
「えへっ、どいたま〜☆」
二人が去った砂浜には、静かな海のささめきだけが残っていた。