赤穂屋本館

ボールを追い駆けて

 ビーチバレーのネットを挟んで僕の前に聳え立つ、二つの筋肉の塊。爪先から頭のてっぺんまで筋肉に包まれたその身体からは、空で燦々と輝く太陽よりも熱い闘志が滲み出ている。

「墳ッ、ワシらの相手は——最原、赤松、お前さん達か……よろしく頼むぞ」
「なんかワクワクすんなぁ! おっしゃ、バトんぞぉ‼」

 これから僕達がするのは〝バトる〟のではなく、ビーチバレーなのだと思っていたのだが——。僕達がこれからこの二人とビーチバレーで戦わなければならないなんて、およそ信じられなかった——いや、正直信じたくなかった。

「最原くん、これはちょっと……ヤバイかもね……」

 僕の隣に立つ赤松さんも同意見だったらしい。彼女が僕の意見に賛成してくれた嬉しさ、それよりも目の前の二人の圧に対する恐怖が勝ってしまい、僕は情けなく首を縦に振ることしかできなかった。

「この弐大猫丸、誰が相手でも手加減はせん!! 正々堂々行かせてもらうぞおぉ!!!!」
「オレも本気出すぞぉ!! 最原、赤松、本気で来てくれていいからな!!」

 二人が叫ぶと彼らの纏うオーラが更に強くなった気がする。熱波かと錯覚しそうな彼らの闘志に当てられて、ラッシュガードを羽織っていてもなんだか肌に火傷を負ってしまいそうな気がしてくる。

 ……僕は今日、生きて帰れるだろうか。

 

 事の発端は、数日前に僕達のクラスで行われたビーチバレー大会だった。せっかく南国の島にやってきたのだからと、赤松さんがクラスの皆にビーチバレー大会の開催を提案したのだ。同学年の中でもとりわけ仲の良い僕達のクラスだったから、大会は盛り上がった。特に星くんと東条さんのペアは強敵でどのペアも太刀打ちができず、ついに優勝トロフィーを掻っ攫っていった。

 大会が終わって何日かしてもなぜだか僕の興奮は冷めきらず、お風呂の時間に温泉で一緒になった苗木くんと日向くんに僕のクラスのビーチバレー大会の日の話をした。すると、二人とも自分達のクラスメートと一緒にやってみたくなったようで、それぞれのクラスで話が進んでいった。そしてそれがいつの間にかこの合宿の参加者全員でビーチバレー大会を開催するという話に発展し、こうして僕達は運悪く——公平な抽選による結果で、初戦から弐大くんと終里さんのペアに当たってしまったというわけなのだ。せめてもの救いは、ペアの相手を自由に決められたことによって赤松さんと一緒のペアになれたことだった。もっとも、ペアを決めたときはこんなことになるとは思っていなかったけど……。

 ただでさえ裸足で砂浜の上に立っているだけで足の裏が灼やけるように熱いのに、弐大くんと終里さんから流れてくる熱気のせいで、更に熱さが増している気がする。目の前にいる二人はただそこにいるだけなのに、まるで燃え盛る炎の中にいるかのように錯覚してしまうほどの迫力があった。

「はーい! それでは、これから弐大くんペアと最原くんペアの試合を始めまちゅよ〜!」
 熱さに喘ぐ僕らをよそに、モノミののんきな号令によって僕達の試合は始まったのだった。

 弐大くんと終里さんのペアは、まさに圧倒的という言葉がぴったりだった。

 剛の弐大くんと柔の終里さん。それぞれの鍛え抜かれた肉体が二人の見事なコンビネーションによってより強力になり、僕と赤松さんに猛攻を仕掛けていた。僕も赤松さんも特に体育の成績が悪いわけではないけれど、ずば抜けた身体能力を持つ二人が本気でかかってくるとなると勝ち目はゼロに等しい。弐大くんと終里さんに対等に渡り合えるのは、僕達の学年では大神さんと朝日奈さんペアくらいしかいないと思う。弐大くん達だって、きっと自分達が本気でやれば僕達に勝ち目はなくなるということは承知なのだろうけど、それを踏まえた上で全力で掛かってきてくれているのだろう。スポーツマンシップに則った、とても彼ららしい姿勢だった。

 しかし実際ボールを受ける僕達からしてみれば、暴力的な球が絶えずこちらに向かってくることに変わりはない。二人のスパイクによってこちらに飛んでくるボールはかなりの豪速球だし、そもそも慣れないビーチの砂に足を取られてボールの着地点までなかなか到達できないのだ。僕としてもなるべくボールは繋いでいきたいけれど、中途半端に腕を伸ばせば怪我してしまうかもしれないという本能的な恐怖感に阻まれてしまう。

 ……いや、僕なんかが多少怪我するのはいい。赤松さんは〝超高校級のピアニスト〟、この学園の中で誰よりも指を大事にしないといけない人物だ。彼女は指の無事がそのまま才能の育成に直結するから、もしかしたら何かあってもプログラムで修復したりできるのかもしれないけれど……それでも不要な怪我はもちろん避けたかった。そんな彼女を守らなければならないのに、まともに彼らのボールすら受けられないという有様で、僕は一人コートの中で情けない気持ちになっていた。

「おらぁっ!!」
 弐大くんの怒声とともにまたもや強烈なアタックが繰り出される。今度は赤松さんが何とかレシーブを試みるものの、勢いを殺しきれずにボールはそのまま明後日の方向に飛んで行ってしまった。

「あっ……ごめん!」
「大丈夫!」
 謝ってくれた赤松さんの手首は赤く腫れており、弐大くんと終里さんとの死闘の壮絶さを物語っている。……そう言う僕の手首も同じく腫れていて、ズキズキと痛みを訴えていた。これまでに学園の体育の授業でもバレーボールの授業を受けたことはあったけれど、流石にここまで手首が痛んだことは無かった。

 そして、ここまでで僕達が入れられた得点はゼロ。……そう、僕達は、全く点を入れられていないのだ。超高校級の才能を認められて希望ヶ峰学園に入学したのは僕と赤松さんも同じだけれど、運動に関しては一般的な高校生とほとんど同レベルと言っていい。そんな僕達が〝超高校級のマネージャー〟と〝超高校級の体操部〟に敵うはずがない——そういう諦めの気持ちが、僕の中に多少なりともあったのは事実だった。

「はい、これで一セット目終了でちゅ! それでは五分間のインターバルを取りまちゅよ〜」

 ピィーッと辺りにホイッスルの音が響く。終里さんが打ったアタックが僕らの陣地に入り、一セット目が終わった。公式ルールによると、ビーチバレーでは三セットマッチで二セット先取した方の勝ちとなる。つまり次のセットでの勝利を許してしまうと、その時点で僕達の負けということになるのだ。

 五分間のインターバル。これまた公式ルールではインターバルは一分間しかないけれど、何せこのジャバウォック島は——いくらプログラム世界の中で作られたとは言えど——暑すぎる。ルール通りの一分間のインターバルでは熱中症の患者が出るかもしれない、そう危惧した人がモノミに提案して結果採用されたと聞いている。

 僕達がコートの外の木陰でスポーツドリンクを口にしていると、頭上から影が伸びるのが見えた。

「おう、終一! 来てやったぞ」
「百田くん」

 顔を上げると、そこには濡れタオルを持った百田くんと春川さんが立っていた。

「ほら、これ使え!」

 百田くんが差し出した濡れタオルをそのまま受け取ると、手のひらに鋭い冷たさが伝わった。予め冷やしておいてくれたのだろう、そのことに気付いた僕は「はぁ」と息を吐き出しながらすかさず首、顎、頬と順番に当てた。氷にも近い冷たさを帯びたそのタオルは、夏の日差しと、あの二人による熱気に晒された僕の肌を優しく癒してくれた。

「ありがとう、百田くん」
「おう! いいリフレッシュになるだろ?」
「うん。暑かったから助かったよ」

 そう言って僕はタオルを百田くんに返す。隣では春川さんが赤松さんに同じタオルを渡していたみたいで、僕達と似たような応酬が交わされていた。僕はともかく、赤松さんは日差しで頬を真っ赤にしているのをコートの中で見ていたので、ちょっと安心した。僕達が落ち着いたところで、百田くんが口を開く。

「終一、赤松、よくやった! オメーらってビーチバレー強かったんだな! 見直したぞ」
「——ええっ? でも私達は一点も入れてないよ?」

 困惑した表情を浮かべた赤松さんがすかさず百田くんに反論を入れる。彼女の言う通り、僕と赤松さんは先ほどまでの試合でたったの一点も入れることができていない。二十一点対〇ゼロ点、圧倒的な点差だ。これまでの試合の展開を見てきた人が十人いたなら、十人全員が弐大くんペアが勝つと予想するだろう。それはプレイヤーである僕も、そして赤松さんも同じ意見だと思う。しかし百田くんはそんな僕達の困惑を笑い飛ばしてみせた。

「いいや、オメーらは強え! 相手はあの弐大と終里だろ? むしろここまでリタイアしてないだけで胸張れるぜ!!」
「そ、それは確かに……」
 それまで訝しむようだった赤松さんの眉根が緩む。彼女も僕と同じで百田くんに励まされたようだ。

 百田くんの言うことはもっともだった。特に運動に秀でているわけではない僕達がリタイアせずに弐大くんペアに食らいつけているのは、きっと僕の相手が赤松さんだからだと思う。試合中に交わす言葉は「そっち」とか「お願い」とか短いものばかりだったけれど、それでも彼女が何をしようとしているのか、どうすればいいのかが何となく伝わってくるのだ。……これが彼女との信頼関係、というものだろうか。そのことに気付いた僕はなんだか恥ずかしかったけれど、でもちょっと胸の奥が暖かくなるようだった。

「——それによ、オメーらがここまで戦えてるのは終一と赤松がお互いのことを信頼してるからだ」
「!」
 百田くんの言葉にドキッとした——ちょうど僕が今考えていたことを百田くんに言われたからだ。僕と赤松さんがお互いに目を合わせると、どちらからともなく照れたように笑った。

「はぁ……ホント、そういうとこ……あんた達って仲良いよね」
「えっ!? あ、あはは……」
 呆れたような表情を浮かべた春川さんに指摘され、赤松さんが誤魔化すように照れ笑いを浮かべる。

「よーし! そんなオメーらに、オレが直々に必殺技を教えてやる!!」
「ひ……必殺技?」

 百田くんはそう言うと僕と赤松さんと春川さんを腕で寄せて、円陣を組ませた。戸惑う僕らをよそに、百田くんはこれから始まる二セット目のアドバイスをしてくれた。そのアドバイスは妙に的確で、二人のポジション、ボールの捌き方や弐大くん達の動き方のパターン、そしてそれらを踏まえた二セット目全体の戦術にまで至った。それは、まるでプロの選手による分析のようだった。いくら中学時代にテニス部だった彼でもここまでスムーズに言葉が出るものかと、僕は彼の言葉を聞きながら少し引っかかってしまった——が、それを先に指摘したのは春川さんだった。

「ちょっと……それって、隣に座ってた大神と朝日奈が話してたことそのままじゃん……」
「ちょっ、ハルマキ! バラしてんじゃねーよ!」
 百田くんが隣の春川さんを肘で小突く。どうやら、百田くんの隣で座って観戦していた大神さんと朝日奈さんが話していた内容をそのまま伝えてくれたらしい。しかしたとえ受け売りだったとしても、スポーツ経験のほとんどない僕達には有難いアドバイスだった。

「ありがとう、百田く——」
「——っていうか、必殺技は? 今までのあんたのアドバイスじゃ、ただボールの捌き方とかコートでの動き方とか、そういうことしか言ってないじゃん」
「おっ、確かにそうだな……」

 春川さんに指摘され、百田くんは少し考えるような仕草を見せた後あとこう高らかに叫んだ。

「——いいか、オメーらの必殺技は……絆だ!」
「き、絆?」

 彼の突拍子のない発言に三人全員が困惑した。今まで受け売りとはいえ専門的なアドバイスが続いた後だったからこそ、この抽象的な〝絆〟という言葉の異質さがより際立ったのだ。この違和感に最初に反論したのはまたも春川さんだった。

「どういう事? 絆って、意味わかんないんだけど」
「ああ? ハルマキだってさっき言ってただろ、こいつらに『仲良い』って」
「え?」
「いいか——オメーらは強えが、弐大と終里はもっと強ぇ! 対等に渡り合おうとしても負けちまうだけだ……でも、オメーらにはオメーらの武器がある! それが、オメーら二人の絆なんだ!」
「!」

 百田くんがそう言い放った瞬間、ピィーッという鋭いホイッスルの音が辺りに響き渡った。インターバルの終わりを合図する音だ。

「ミナサーン! インターバルが終わりまちたのでコートに戻ってきてくだちゃーい!」

 モノミの号令で、同じようにコートの向こうの木陰で座っていた弐大くんと終里さんがぬらりと揺らめくように立ち上がるのが見えた。その様子は、まるで砂の上に浮かぶ夏の陽炎かのようだ。自分も行かねばとコートの方に向かおうとすると、後ろから百田くんが話しかけてくれた。

「大丈夫だ、オメーらならなるようになる! 特に終一はオレの助手なんだから胸を張れ! 赤松はオレの助手の相方なんだから大丈夫だ! 心配すんな!」
「……〝なるようになる〟って、なんだか受験前みたいな言い方だね……」
「こ……細けぇことは気にすんな! とにかくオメーらなら大丈夫だ! 胸張って行ってこい!」
「……うん、ありがとう。百田くん」
「…………まぁ、百田じゃないけど……あんた達なら何とかなるんじゃない?」
「! ありがとう、春川さん!」

 最後まで僕達のことを励ましてくれた百田くんと春川さんに、赤松さんと一緒に笑顔で手を振って二人の元を後にした。〝なるようになる〟。文字だけなら曖昧な言葉なのに、彼のその言葉にどこか勇気づけられる自分がいる。きっと自分だったら、赤松さんにそんな言葉は言えないだろう。やっぱり百田くんはつくづく凄い人だと思った。

「頑張ろう、赤松さん」
「うん! そうだね!」

 僕は百田くんのように頼もしい言葉は掛けられないけれど、それでも精一杯の気持ちを込めて赤松さんに声をかける。彼女はその声に応えるように元気よく返事をした。絆が必殺技の僕達に、言葉はもう必要ないだろう。

 ◆

「終一、赤松!! よくやった!!」
「わっ」

 試合を終えて戻ってきた僕と赤松さんを、百田くんが腕でまとめて自身の胸に抱き寄せた。筋肉質な彼の腕に寄せられて、僕と赤松さんは密着するような形になる。まるで勝利を祝福するかのようなその行為に僕は少し照れてしまって、それを誤魔化そうと赤松さんと目を合わせた。彼女も少し恥ずかしそうに頬を染めていたけれど、それでも満面の笑みを浮かべて僕に応えた。

 結果はもちろん僕達の惨敗だ。この結果に異論はない——むしろ、〝超高校級のマネージャー〟と〝超高校級の体操部〟が僕達にスポーツで負かされたら、逆にそちらの方が心配になるというものだ。彼らは学年最強か、あるいは校内で最強すら狙えるようなペアだからだ。

「オメーら、すげぇよ!! あの弐大と終里相手に一点取るなんてよぉ!!」

 百田くんはそう言うと僕達の肩をバシバシと叩いてまた抱き寄せる腕の力を強めた。少し感傷的にすらなっているのか、涙ぐんでいるかのような声色だ……。百田くんの腕が僕の背中に食い込む。隣の赤松さんのことが心配になって視線を移すと、同じように力強く抱き寄せられて彼の腕が食い込んでいた。ちょっとマズいんじゃないか……?

「い、痛いよ……、百田くん」
「百田。最原はともかく、赤松は離してやんなよ」
「えっ!?」

 ——僕はともかく!?

「おお! そうだな、スマンスマン」

 春川さんの言葉で僕達は百田くんの腕から解放された。感極まっての行動とはいえ、正直ちょっと苦しかった。……春川さんの言葉に正直ぎょっとしてしまったけど、僕も解放されてよかった。

「春川さん、ありがとうね」
「別に。百田の馬鹿力で抱き寄せられたら赤松は潰れちゃうでしょ」

 赤松さんにお礼を言われると、春川さんはいつものようにそっぽを向いてしまった。彼女は僕が百田くんに抱き寄せられて潰れても大丈夫と思っているのだろうか……。そっけない物言いが春川さんのキャラだとこの三年間で分かったとはいえ、やっぱりちょっとショックだ。

「っていうか、最原と赤松を祝うっていうのはどうなったの」
「そうだな! オメーら、よくあいつらに一点入れられたな!! 流石はオレの助手と、その相方だぜ!!」

 反省しているのかしていないのか、百田くんはまた僕達の肩をバシバシ叩いてきた。……いや、思っていたより痛くない。彼も先ほどよりいくらか手加減してくれているらしい。

 

 インターバルが明けて再び試合が始まっても、弐大くんと終里さんの勢いは留まることを知らなかった——、むしろ弐大くん自身が〝超高校級のマネージャー〟である故か、インターバルが明けると彼らのパフォーマンスは試合の最初の時点に戻ったかのような気さえした。どれだけ動いても、彼らの動きに追い付かないのだ。徒競走で他の走者全員が僕を抜かしてずっと遠くへ走り去ってしまう——僕がどれだけ足を動かしても、その背中には追い付けない。そんなどうしようもない身体能力の差を見せつけられたような気分だった。

 それでも僕達が一点を入れられたのは紛れもなく百田くんのお陰だった。『無理にボールを拾うな、拾えるボールだけを繋げ』。それが百田くんが教えてくれた戦術の要旨だった。インターバルを挟むまでの僕達は、こちらに来たボールはなるべく全て拾おうとしていた。たとえどんなボールでも、得点に繋げたかったからだ。しかしそれでは僕達の体力は持たない。実際、インターバルを挟む直前の僕達は体力切れを起こして弐大くん達に翻弄されるばかりだった。

 そこで、手を出すボールを取捨選択する必要が出てくるのだ。なるべく緩いボール、または落ちる場所が良いボールを拾う。そうすればいつかは得点に繋がる……かもしれない。体力が少ない僕達が温存して戦うためにはそれが最善の策だった。

 この作戦は結果的に有効だった。狙うボールの数が少なくなれば、自ずと本命のボールを狙うときに集中して狙うことができるからだ。甘いボールを拾って、繋げて、もう片方が攻め込む。インターバルが明けてからは、この戦法を繰り返した。しかし、そんな戦法を取る僕達を弐大くんと終里さんがもちろん許す訳はなく、僕や赤松さんがボールを撃ち込んでも大抵二人のどちらかがブロックした——が、しかし初めの頃より上手く動けていたのは事実だった。

 そしてついに、その瞬間が訪れた。

 試合中盤——いくら体力を温存する作戦とはいえ、流石に僕達の体力も削られ始めている頃だった。赤松さんが繋げてくれたボールが、僕の右腕の上に来てくれたのだ。——ここだ! 反射で砂を蹴って、腕を伸ばして、相手のコートを見渡す。弐大くんと終里さんは二人ともコートの奥、今手前を狙えば二人が腕を伸ばしてもきっと届かない。ここで上手く撃てば点を取れる! 僕は息を呑んで、狙いを定めた。

「うあああああ——!!」

 僕はほぼ無意識で叫んでいた。僕の思惑に気付いた弐大くんと終里さんがすかさず目を見開いて前へと駆ける。間に合え——! 腕を振り下ろすと、バレーボールの硬い感触が掌全体に響いた。僕は渾身の力でボールを叩きつける。その一球は、真っ直ぐにコートの手前に撃ち込まれた。彼らの伸ばした腕はついに間に合わず、ボールは砂浜目がけて着地した。僕が撃ったボールが、コートの中の砂浜に落ちた。ということは得点だ。……僕達はあの二人から一点を奪ったんだ! そのことに気付いた瞬間体が妙な高揚感に包まれる。額を、頬を流れる汗が止まらなかった。

「最原くん!!」

 震える足で立つのがやっとの僕の元に、赤松さんが駆け寄ってきた。彼女も興奮しているのか、頬を紅潮させて笑顔を見せていた。彼女はそのまま僕に半ば突進するような形で抱き着いてきた。赤松さんの体重がのしかかって、彼女の汗ばんだ腕が触れる。

「あ、赤松さん!?」
 僕に突進してきた赤松さんの体が、僕にぴったりとくっついた。さ、さすがにコートの中で抱き着かれるのはマズい……! 至近距離まで近づいた赤松さんの肌から目を逸らしつつ彼女を剝がそうとすると、彼女はそれをものともせず顔を輝かせて言った。

「すごいよ、最原くん!! アタック決まったね!!」
「あ——」

 見ると、相手コートで持ち主を失ったボールが砂の上に佇んでいる。弐大くんと終里さんは僕のボールを拾うべく腕を伸ばしたけれど届かず、そのまま砂の上に滑り込んだらしい。全身に砂の付いた二人が、肩で大きく呼吸をしながらコートの上に立ち尽くしていた。二人に悔しそうな表情は一つもなく、純粋に驚いた顔で僕達のことを見つめている。弐大くんも終里さんもきっと僕達との試合には真剣に向き合ってくれていただろうけれど、それ以上に僕達に負けるつもりもなかったのだろう。

「終一ー!! よくやったー!!」
 緊張しきって静かになってしまっていたコートに、ひと際大きい百田くんの声が届く。それに続く形で、クラスメートの皆が僕達の得点を称える声が聞こえてきた。

「最原君、赤松さん、すごいよ!!」
「赤松さん、素晴らしいですっ!!」

 その声は大きな歓声となり、やがて拍手の音とともに辺りを満たした。
「あ……、ありがとう……」

 普段から人前でピアノを演奏する機会の多い赤松さんはともかく、僕はこういう風に皆から注目されて賞賛を浴びるような機会があまりない。その時の皆からの温かい反応は恥ずかしくもあり、同時に嬉しくもあった。モノミは皆の歓声の中嬉しそうに得点板まで近付くと、ずっと0だった僕達の得点を1にしてくれた。

 それ以降は二人も集中し直したのか先ほどのような得点のチャンスはなく、結局僕達は二人に敗れてしまった。しかし一セット目の試合と違ったのは、得点が二十一対一で終わったことだった。僕達は、あの弐大くんと終里さんから一点を奪うことができたのだ。

「応ッ、最原、赤松! お前さん達のコンビネーション、素晴らしかったぞ!!」

 試合終了後の挨拶で、弐大くんが僕と握手を交わしながらかけてくれた言葉だ。僕の手を痛いくらい力強く握ってくれた弐大くんは、コートで対峙した時よりもなんだか大きく見えた。

「ありがとう。でも、やっぱり弐大くんと終里さんには敵わなかったよ」
「そうそう、私達が点を入れられたのはまぐれみたいなもので——」
「いや、まぐれじゃねーぞ」

 僕の隣で謙遜する赤松さんの手を、終里さんが握った。終里さんの黒い肌は、陽の光を浴びてかいつもより輝いて見える。

「オメーらは強えんだ! オレと弐大のオッサンから一点を取ったんだからよ!」

 終里さんは、こういう場で変な冗談を言う人ではない。文字通り死ぬ気で戦った相手だからこそ——「オメーらは強い」という彼女の言葉は、真っ直ぐ僕に届いた。それは赤松さんも同じだったようで、終里さんの言葉を聞くとさっぱりとした笑顔を見せた。

「……そうだね。ありがとう、弐大くん、終里さん」
 赤松さんが握った手を揺らした。赤松さんも終里さんも、満足そうな清々しい表情だ。

「これにて、弐大くんペアと最原くんペアの試合を終わりまちゅ! ミナサン、お疲れ様でちた!」

 コートの中の選手四人全員がお互いの健闘を称えて頭を下げる。これでクラス対抗ビーチバレー大会の初戦が終了、僕達最原・赤松ペアの敗退が決まった。僕と赤松さんは、皆の拍手の中コートを去った。

 それは僕が生きてきた中で、一番誇らしい敗北だった。

 

「——よし! オメーら、今日は終一と赤松の祝賀会やるぞ!」
「えっ!?」

 百田くんの突拍子のない提案が耳に入ってハッと我に返る。弐大くんペアから一点を取れた記念だとはもちろん分かっているけれど、流石にやりすぎだ。実際僕達の戦績は初戦敗退で、別に祝われるようなものではないからだ。

「いいよ、祝賀会なんて。僕達は一点しか取れてないんだから……」
「大体、祝賀会って何すんの?」
「キャンプファイヤーをバックに皆で美味いメシ食って話せば祝賀会っぽくなるんじゃねぇか?」
「それは合宿の最後にやるじゃん。大体四人だけでキャンプファイヤー?」
「うっ……」
 春川さんの鋭いツッコミが百田君を刺した。彼女の言う通り、百田くんが言うような催しは合宿が終わる一週間前に参加者全員で開かれる予定だ。それを今やってしまえばただのフライングである。

「えー? 私はいいと思うけどな、祝賀会。百田くんの言うキャンプファイヤーじゃなくても、皆でお菓子食べながら一緒に喋るだけでも楽しいと思うよ?」
「おぉ! 分かってくれるか、赤松!」
「うん! 最原くんも春川さんもせっかくの南国の島なんだから、皆で楽しいことしようよ。ね?」

 そう言って屈託なく笑う赤松さん。その笑顔を見ていると、不思議と嫌とは言えない気分になる。確かに僕はこんな南の島には来たことがないし、こういう機会でないと南国情緒なんてなかなか味わえないものかもしれない。

 それに合宿が始まったばかりというのもあるけれど、僕はこの合宿で赤松さんとまだまともに遊べていなかった。……僕は、皆には内緒で赤松さんとお付き合いをしている。彼女とお付き合いを始めてからもう一年以上が経つけれど、彼女と泊まりがけで過ごすのは初めてだった。そもそもこの合宿には他の生徒がいるから、あまり二人きりでばかり行動するわけにもいかないんだけど……。でもやっぱりせっかくの機会だから、彼女と過ごす時間が少しでも欲しいというのが正直なところだった。

「……うん。赤松さんがそう言うなら——やろうか、祝賀会」
「やったぁ!! ね、春川さんも来るよね?」
「…………はぁ」

 溜息を吐きながら春川さんが小さく頷く。きっと彼女も赤松さんが持つ力に負けてしまったのだろう。そんな彼女の顔に浮かんだのは呆れの中にもどこか楽しげな笑みだったように見えた。

「よしっ!! オメーら、十時になったらジャバウォック公園に集合だ! オレが東条に頼んでウマいジュース作ってもらっとくからよ!」
「やったぁー!」
 僕と春川さんの参加が晴れて決まり、百田くんと赤松さんが揃ってはしゃぐ。爽やかな水色のビキニ姿のまま嬉しそうに小躍りする彼女の姿は本当に可愛らしくて、見ているだけで幸せな気持ちになった。

 才能育成合宿はまだ始まったばかり。これが卒業前最後の行事なのだ、彼女と一緒にいられる時間がたくさんあるといいな。僕はそんなことを考えながら、百田くんと祝賀会についての計画を練る赤松さんの嬉しそうな横顔を眺めていた。